インドネシアで影絵芝居になった桃太郎(後編)
違いをどう考えるか
今回のプロジェクトを通じて、改めて自国の文化、ひいては自分自身について考える機会になった。2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、イスラエル・パレスチナ問題の再燃など、世界中で起きている紛争問題を見るにつけても、欧米諸国などの先進国と、いわゆるグローバルサウスと呼ばれる国々の間で分断が進行しているように感じる。皆が共通の方向性を目指す身内だという幻想は崩れ、グローバル化という名の標準化に異を唱える人も増えてきた。 個々のアイデンティティを無視したグローバル化には、必ず無理が来る。今は、将来への幻想を重視するあまり疎かにしてきた、自分の足元を再度照らしなおす時代ではないだろうか。そうした時代に、改めて自分のルーツについて学ぶこと、全く異なるバックグラウンドを持つ人との交流を通じて互いを知ることは、益々重要であると思う。 ただし、実際に文化的な違いを持つ人との交流は楽しいだけではない。このプロジェクトの期間中だけで、文化の違いに閉口することは何度もあった。参加してくれたインドネシア側のチームの人々は、全体的にのんびりしていて、楽観的な人が多かったこともあるせいか、イベントの直前までありとあらゆるトラブルが立て続けに発生した。それに対して現地側のリーダーが会議の場で「自分たちの信仰心が足りないからだ」と言って、突然皆でお祈りを始め(なぜか筆者も参加させられた)、文字通りの神頼み状態に思わず苦笑いするしかなかった。 しかし、その過程でインドネシア人だからという色眼鏡を捨てることも多かった。例えば、失礼ながらインドネシア人に勤勉というイメージはこれまでなかった。それが、時間をかけて一緒に仕事をしていると、毎日夜通し準備に勤しむインドネシアの若者たちを見て自分の認識を改める機会になったし、逆に筆者がオンラインの会議に数分遅刻した際には、メンバーが冗談めかして「日本人なのに時間に遅れている」と言うのを聞いて赤面したこともあった。また、「日本人は縦社会が厳しいイメージ。年上の人には気を遣わないといけないと思っていたが、私たちの接し方は勇樹にとって失礼ではないか?」と言われることもあった。筆者からは「全然気にしていないから、むしろもっとフランクに話しかけてほしい」と伝えたが、確かに、それまでは相手側もどことなく遠慮している様子だった。 そうして、はじめこそ自分は日本人、自分はインドネシア人という建前で接していたものの、互いの仮面がはがれ始めると、徐々に相手との交流が深まっていく。イベントの前日深夜まで準備が終わらず、準備の合間の息抜きに皆で日本とインドネシアのお菓子を交換したときには、当初感じていたような違いや距離感を乗り越えたような気もした。改めて、遠くの人にこそ類似点を、近くの人にこそ相違点を探す努力が必要だと実感した。 人種的・言語的に均質性の高い日本においては、違い・多様性という言葉に鈍感なことが多い。言葉には表れなくても「日本人なら当たり前」「日本人なのにできないのはおかしい」という無言の非難が行間に含まれる。その裏返しか、日本では海外・外国人というものが、即、異文化・異質なものとして捉えられる傾向がある。 大企業のHPを見ると、外国人社員を紹介しながら、多様性・インクルージョンという言葉を多用しているきらいがあるが、実際には日本で教育を受けた“日本的”な外国人を好んで採用しているケースも多い。見かけで違う人たちを形だけ集めて、多様性など生まれるはずがない。逆に、均質的に見える日本人社員であっても、一人一人が違う生き方をしている中にこそ、丁寧に多様性を見出すこともできる。