インドネシアで影絵芝居になった桃太郎(後編)
「日本インドネシア国交樹立65周年記念事業」「日本ASEAN友好協力50周年記念事業」にも選ばれた「Momotaro Wayang」プロジェクトを終えて、インドネシアの若者たちは何を感じたのか。“面倒くさい”異文化交流を通して、筆者はグローバル化の中で多様性を確保する難しさに思いをはせる。 (前編からつづく)
日本人とインドネシア人の助け合いを描きたい
物語の3分の2で桃太郎が不在、代わりに「農水省の山田さん」が登場する台本を読んで、その日はプロジェクトの先行きが不安で眠れなかった。しかし、一晩おいて考えてみると、徐々に考えも変わってきた。もしかしたら、意外に面白いかもしれない。 そもそも、筆者はワヤンという伝統芸能の自由さ、宗教から日常生活まで様々なテーマを主題にできる面白さ、に惚れたはずである。なのに、その可能性を狭めてしまうのは勿体ない。インドネシア人が桃太郎の物語を引用する形で、正義のヒーローを日本のイメージ(新しい技術やノウハウを持参する)と重ねてくるとは思わなかった。 それに今回、現地の人々のやることにあまり口を出さない、と決めていた。自分のアイディアがどう育っていくかに関心があったというのもあるが、日本人の感性で「あれはだめ、これはだめ」とやってしまうと、文化交流の趣旨に合わないし、何よりそれをやっても現地で定着することはない。 桃太郎の物語自体も時代によって解釈が変わっている。特に顕著なのは戦前で、大東亜共栄圏構想を進める日本が、お供の動物たち(他のアジア諸国)と鬼畜米英を倒す物語にすり替わっている。最近は、鬼を懲らしめないという風に変わっているものもある。物語の内容も絶対的に決まっているものはない。 文化交流の最大の落とし穴は、相手を信用できなくなることだと思う。もちろん良い作品を作りたい、という気持ちはあるが、このプロジェクトについては、現地の人々に台本作りを任せた時点で、既に筆者の手を離れている。今の時代のものを最良として、それをそのまま残そうと努力しても、受け取るのは次の世代の人々である。文化は人から人に伝えられているうちに、伝言ゲームのように少しずつ変わる。そうして継承に失敗して消えていった有形無形の文化も多いことだろう。 それは、海外への文化展開も一緒だ。祖父から父、父から子でさえ継承が難しいのだから、日本人からインドネシア人ならなおのこと。背景が異なる国に文化が伝播すると、そこで何が起きるのか。それを具(つぶさ)に観察することが、プロジェクトの趣旨だ。だから、今回の場合、私と彼らのセンスのどちらが大事かといえば、現地のセンスであろう。「これを自分たちの意のままにやってほしい」というのは傲慢ですらある。 筆者の感覚に合わなくても、現地の人が面白がってくれるなら、それでいいのではないか。喉元まで出かかった「これはちょっと違うので書き直してほしい」という言葉をすんでのところで押しとどめ、ひとまずストーリーの担当者に話を聞くことにした。 結論を言えば、頭ごなしに否定しなくてよかった。話を聞くに従って、一見、荒唐無稽に思えた物語展開も、実は非常に計算しつくされていることに気づいた。エコ氏によれば、桃太郎の話の本質は「善が悪に必ず勝つ」というものだが、悪であっても改心の余地があるならば殺したくない。だから、戦いに敗れた鬼を、僧侶が聖水をかけて、人間の姿に戻した。悪い結末を作らずに、人助けを描くストーリー展開にした、という。 なぜ山田さんという農水省の役人を登場させたのか、という問いに対しては、昔からコメや農産品を輸出してきたインドネシアにとって、害虫との闘いは国の富を左右する重大な問題だった。そこに、日本人が自らの技術でインドネシア人を助ける。その過程で思うように技術を導入できず困っている日本人を現地のインドネシア人が助けることで、日本人とインドネシア人がお互いを助け合う姿を描きたい、とのことだった。