「戦場ヶ原の稲妻」R30スカイライン|長年情熱と愛情を注ぎ作り上げた!|スカイラインの生みの親 櫻井眞一郎が描いた夢とクルマ
【長年情熱と愛情を注ぎ作り上げたスカイライン】 日本を代表するスポーツセダン、スカイラインを育て、長年にわたって開発主管を務めたのが櫻井眞一郎さんである。櫻井さんを抜きにして昭和の時代のスカイラインを語ることはできない。 【画像5枚】初代から開発に携わり、2代目で責任者を任され、「スカイラインの生みの親」と呼ばれる櫻井眞一郎さん。7代目が誕生するまでの30年余り、櫻井さんとともにモ ータリゼーションの先頭を走り続けたスカイラインに込められたのは愛だった 60年もの長い歴史を誇るスカイラインの多くに櫻井さんはかかわり、息を吹き込んできた。手塩にかけて育ててきたスカイラインに共通しているのは、心の通ったクルマ、愛情あふれるクルマであることだ。それを端的に表しているのがキャッチフレーズの「愛のスカイライン」である。櫻井さんはこのコピーを好み、血の通ったクルマを生み出すことに情熱を燃やした人だった。 櫻井さんの本職はサスペンション設計である。だが、最良のものを生み出すために、デザインやパッケージング、パワートレーンなどにも強い関心を示し、パーツのひとつひとつにまで強くこだわった。だから安易な提案やその場しのぎの対策を嫌ったし、採用しても量産化する直前までより良くしようと努力している。また、走行チェックも率先して行った。ステアリングを握ったのは、スカイラインなど量産型の試作車だけではない。R380やR381などのレーシングカーも、例外なく乗り込んで走行フィーリングと安全性を確かめている。
手がけたのはスカイラインやローレルといった名車ばかり。本職がサスペンション設計だったからこそ「HICAS」は生まれた
櫻井さんが生み出してきたスカイラインやローレルは、敏捷な走りの動物を参考にしたと言われている。チーターやサラブレッドなどの、しなやかな足の動きとダイナミックな走りを手本にしたのだ。後ろ足で蹴る後輪駆動のクルマを好み、気持ちいいハンドリングにこだわった秘密はそこにある。積極的に足を動かすために、GC10からフロントにストラットを採用し、リアはセミトレーリングアームとした。最後の作品となる7代目のR31スカイラインは、前輪だけでなく後輪も積極的に動かし、軽やかな走りを実現している。これが4輪操舵のHICAS(ハイキャス)だ。 このように後輪駆動にこだわっていたが、動物の動きを観察しているうちに前足も重要な働きをしていることに気づいた。そこでHICASと同じ時期に、後輪駆動をベースにした4輪駆動の開発にも乗り出している。が、任期中は技術的な問題を解決できなかったため、R31では採用を見送った。 この努力が実ったのは、後任の伊藤修令さんが指揮を執った8代目のR32のときだ。GTS-4とGT-Rには後輪駆動をベースに、前後輪への駆動トルクの配分を電子制御によって最適に配分する先進の4WDシステム「アテーサE-TS」を採用した。路面にかかわらず優れたトラクション性能を実現し、公道だけでなくサーキットでも驚異的に速い走りを見せている。 櫻井さんはスカイラインやローレルを開発するとき、最初にコンセプトストーリーを考え、開発陣に説明した。その代表的なものが6代目のR30を開発したときのエピソードである。5代目のC210系は排ガス対策に翻ろうされたこともあり、ライバルから「名ばかりのGT」呼ばわりされた。当然、負けず嫌いの櫻井さんは激怒したと伝えられている。このとき櫻井さんは、「スカイラインの生きる道は、高性能エンジンを積み、意のままの走りを実現して実力の高さを証明するしかない」と思ったのだろう。そこで6代目スカイラインは原点に戻って開発することにした。そして企画段階で開発コンセプトストーリー「戦場ヶ原の稲妻」を書いたのである。精かんで、切れ味鋭い走りのクルマを目指し、このストーリーから生まれたのが名車R30であり、後の「史上最強」を誇示したターボRS(DR30)につながる。 この6代目は「ニュー愛のスカイライン」をキャッチフレーズに掲げている。最初から最後まで、櫻井さんがこだわったのは、ユーザーとスカイラインに対する深い愛情だ。櫻井さんは子供のとき大病を患い、死を意識した。このときに周囲の人たちの深い愛を感じたのである。それがクルマを設計するときの信条につながり、生涯、フレンドリーな人間中心のクルマ作りにこだわった理由でもある。
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