池上彰氏が予測する「10年後の未来」 給料が上昇する人・しない人を分けるものは?
希望が絶たれたことが「自分の専門性」を生んだ
「週刊こどもニュース」が軌道に乗り、50歳を迎える頃には、私は将来、解説委員になりたいと考えていました。NHKの場合、記者は40歳くらいでデスクになると、現場を退いて管理職的な仕事に携わることが多いのですが、私は自分で取材を続けたいと思っていました。 解説委員になれば、自分で取材してテレビで解説する仕事を定年まで続けられますから、私にとって理想的だったのです。人事に提出する書類にも、その希望を書き続けていました。 しかしある日、廊下で解説委員長に呼び止められて、「解説委員にはなれないよ」と突然告げられたのです。理由を聞いたら、「お前には専門性がない」というのが答えでした。NHKの解説委員の仕事には専門分野として深めた知見が必要で、なんでもかんでも解説してきたお前には専門性はないだろうと言われたのです。ショックでしたが、それが自分の仕事の方向性を決定づける契機になりました。 たしかに自分には解説委員長の言う専門性はないかもしれないけれど、物事をわかりやすく説明する能力も一つの専門性と言えるんじゃないか。世の中を見回しても、難しいニュースをわかりやすく解説することを専門にしている人はいませんでしたから、私一人ならニッチビジネスとして成り立つのではないか。そう考えて早期退職制度を利用して、54歳でNHKを飛び出したのです。
頼まれる仕事が、仕事の幅を広げた
フリーになってからは、中東調査会に参加してイランに取材に行くなど、現場のジャーナリストとしての活動を再開しました。ちょうどその頃に始まったのが、この『THE21』での連載です。私が仕事を通じて身につけてきた「わかりやすく伝えるノウハウ」を実例とともに解説する、という内容でしたが、この連載を通じて、多くのビジネスパーソンが「自分の言いたいことをうまく伝えられない」と悩んでいることを知りました。 それならと、連載をもとに『伝える力』という新書を出版したところ、これが大ヒットになりました。「わかりやすく伝える」ことは、ビジネスノウハウとしてもニーズがあることがわかったのです。 その後、2011年に東日本大震災が起きて、福島の原発事故について、大学の工学部の先生たちがテレビで解説をするのをよく見ましたが、文系の人たちにはなかなか理解できない説明ばかり。いくら素晴らしい知見があっても、専門外の人に理解してもらえなければ、その価値を十分に活かすことができません。 そして「これからは文理を融合させる取り組みが必要だ」と考えていたところ、東工大から声が掛かり、2012年から専任教授としてリベラルアーツ教育を担当することになりました。 元来が"教えたがり病"ですから、その後も複数の大学で教えることになり、気がついたらテレビよりも大学の教壇に立つ機会が多くなりました。NHKを飛び出した頃には想像もできなかった展開です。 「わかりやすく説明する」ことを専門に掲げたら、「これをやってもらえませんか」という話があれこれ寄せられてきて、それが「自分の能力の棚卸し」になりました。また、相手の要望に応えようと懸命に取り組むことで、自分でも思ってもみなかったかたちで「わかりやすく説明する専門性」の幅を広げることもできたのだと思います。