68年間の運転を終えた妻への想い
自動車ジャーナリストのレジェンド岡崎宏司氏が綴る、人気エッセイ。日本のモータリゼーションの黎明期から、現在まで縦横無尽に語り尽くします。 岡崎宏司の「クルマ備忘録」 学生時代にシトロン 2CVで通ってきた姿に惹かれて付き合うようになったという、著者の奥様が免許を返納したそう。どんな車でも乗りこなしてきたという奥様とクルマの思い出を語ります。
家内が68年間の運転を終えました!
家内は1940年生まれ。僕と同い年で、青山学院大学1年、19歳の時に知り合った。 高校も同じ青山学院高等部。だが、高校の3年間の僕はバイクに夢中で、学校以外の時間のほとんどはバイク仲間と過ごしていた。 もちろんガーフルレンドはいた。でも、たまにお茶を飲んだり、映画を見に行ったりするくらいがせいぜいだった。 しかし、高等部を卒業すると、バイク仲間は将来を目指し、それぞれの道を選んだ。青山学院以外の大学を選んだ者もいたし、青山学院でも学部はバラバラに散った。
そして、あれほど夢中になっていたバイクとも自然に離れて行った。 そんな折に家内と出会った。同じ青山学院高等部にいたので、互いに顔は知っていた。でも、クラスも違ったし、友人関係もまったく違っていたので、話したこともなかった。 そんな彼女と付き合うきっかけになったのはクルマ。以前にも書いたが、大学にクルマで通ってきていた彼女に僕が声をかけたのだ。 クルマ通学する学生など、まだ、ほんとうに珍しい存在だった時代。加えて、彼女のクルマは、なんと、シトロエン 2CVだった。 もし、アメリカ車辺りだったら、「ああ、金持ちなんだなぁ!」と,サラリとやり過ごしていたかもしれない。でも、シトロエン 2CVともなると、、見過ごすわけにはいかない。 それに、当時、最先端の落下傘スタイル(ペチコートで落下傘のようにスカートを大きく膨らませる)がよく似合う、明るく活発な姿にも惹かれた。
シンプルに言えば、言葉を交わす前から、彼女に惹かれていたということになる。といったことで、ある時、思いきって声をかけた。 「シトロエン 2CV、いいですね‼ 僕、興味があるんです。少しだけでいいですから、横に乗せていただけませんか?」、、と、、多分、そんな言葉をかけたのだと思う。 それに対して、彼女は、びっくりするくらい明るい反応で僕の頼みを叶えてくれた。 ちょっとだけ助手席に乗せてくれた後、すぐに「運転する? してもいいわよ!」と、、。 とにかく、明るくて、あっけらかんとしていていて、運転もうまかった。妙なパターンのシフトをスムースにこなし、2CVを滑らかに走らせた。 青山学院から表参道を抜け、外苑を一周して戻った。その間の半分くらいを僕は運転させてもらったが、楽しかったー‼ 2CVは遅かったけど、乗り心地の良さには驚いた。 2CVを降りた時には、もう彼女を好きになっていた。絶対に付き合いたいと思った。そこで、彼女に電話番号を聞いたのだが、すぐ教えてくれた。当然、僕の電話番号も渡した。