佐藤愛子「100歳は、別に目指すってほどのことではないんですよ。ただ生きている。それだけのこと」エッセイを元にした映画『九十歳。何がめでたい』公開
「私のことはもう、みなさんお忘れでしょう。すっかりボケてると思われてるんじゃないですか」。軽口を叩く声は明るく、目には光が満ちている。 昨秋、100歳の誕生日を迎えた。冬の間は体調がすぐれない日も多かったが、春先からこのかた、「ずっと調子がいいんです」。 本誌連載エッセイをまとめた『思い出の屑籠』は、「私にとって、最後の本」と語る。「書きたいものは出し尽くしちゃって、スッカラカン。原稿用紙は埃をかぶっています」。 仕事は、再刊される書籍の校正がたまに入るくらい。「世間の人の乗る電車が目の前を通り過ぎていく。それを眺めているような心境です」。 読者から寄せられたハガキにはつぶさに目を通している。「私も100歳を目指して頑張ります」という文面に、「別に目指すってほどのことではないんですよ。ただ生きている。それだけのこと」とやわらかく微笑む。
70人いた女学校の同級生は、「昨年、親しかった友だちが亡くなって。ついに最後の一人になりました」。お寂しいでしょう、と問えば、「いやぁ、寂しいなんてことも、もうなくなりました」。 長年通う整体治療に、週に一度は出かける。「1週間の疲れが消えて、楽になります」。お元気そうと伝えると、「それでも耳が聞こえにくくなりましてね。聞こえないと気が滅入るし、考えることも億劫になってくる」。聞こえの衰えは頭の衰えにつながると言う。 88歳で最後の長篇小説『晩鐘』を書き終え、作家生活に幕を下ろした佐藤さんが、90歳でふたたび筆を執ったのが、このたび映画化された『九十歳。何がめでたい』だ。ミリオンセラーとなり取材が殺到、疲労困憊した佐藤さんはまたも引退を決意する。 しかし、いつしか自然と書き始めていた。たびたび断筆宣言を覆してきた佐藤さん、また原稿用紙に向かう日も来ると期待したいが――。 「もう100歳ですからね。若い頃は別れた亭主の借金を返すために書いていたこともあるけれど、今はお金も要らないし。欲もいっさいなくなりました」。さっぱりした表情を見せた。 (撮影=本誌編集部)
佐藤愛子,「婦人公論」編集部