小林雅英は「打たれてもベンチのせい」という無責任の境地で抑えに転向 「幕張の防波堤」の異名をとる絶対的守護神となった
迎えた2年目の99年。初めて開幕からローテーションに入った小林は、開幕投手の黒木知宏に次いで2試合目に登板する。ところがこのダイエー2連戦で両投手とも打ち込まれ、開幕3試合目の西武戦に先発した武藤潤一郎も、7回途中6失点と散々な内容。黒木、武藤には実績があっただけに、小林への影響は小さくなかった。 「ジョニーさん(黒木)と武藤さんが打ち込まれたからって、開幕ローテーションに初めて入る人間にいろんなことを期待されてもできるわけがないじゃないですか(笑)。それなのに『ふたりが打たれたから......』と考えすぎてしまって、『球数を投げなきゃいけない』『イニングを稼がないといけない』『きれいに抑えなきゃいけない』というように余計な思考が入ってきてしまって。変に意識してしまったんです」 投球が窮屈になり、攻めるのではなく守りに入り、先発2試合目は5回4失点、3試合目は7回6失点で3連敗。150キロに迫っていた真っすぐの球速も140キロ前後に落ちていた。 【先発からリリーフへ】 監督の山本は小林の二軍降格を考えていたなか、ブルペンコーチの佐々木信行が「中継ぎでもう1回チャンスを」と進言。4月25日の日本ハム戦でチャンス到来となった。 「1点負けている状況、しかも7回無死満塁の場面でポンって放り込まれて。なんでかわからないんですけど、こうしなきゃいけないっていう考え方から、がむしゃらに腕を振って、強いボールを投げて、とにかく1個のアウトを取りにいくという思考に切り替わったんです。たぶん1年目の前半から後半にかけて自然にできていたことが、先発になってできなくなっていたんだと思います」 小林は、まず6番の田中幸雄を三振に打ちとり、つづく7番の上田佳範を併殺に仕留め、無死満塁のピンチを無失点で切り抜けた。そしてベンチに帰った時、はたと気づく。
「『あっ、これだけ一生懸命がむしゃらに1個のアウトを取りにいかないと、自分は通用しないピッチャーなんだ』と。小難しいことを考えるとか、配球云々とかじゃなくて、その時にキャッチャーと交わしたサインのボールを、しっかり投げにいく。その結果、打たれるか打たれないかのどちらかだと。0点か100点しか、結果の採点はないんだと気づいたんです。 先発ピッチャーなら、7回3失点、6回1失点だったら、負け投手でも『ナイスピッチングだったね』って評価されて、70点、80点、90点って点数をつけられるでしょう。でも中継ぎ、抑えはそうじゃなく、0点か100点。そのほうが思考もパフォーマンスもすごくはっきりしていて、自分の性にも合っているなという気づきでもありました」 以降、リリーフ専任となった小林は「自分のパフォーマンス、自分の思考、自分のボール」で1個のアウトを全力で取りにいくことに徹した。それは投球イニング数も、走者の有無にも左右されなかった。 【突然のクローザー転向】 そうして中継ぎで安定し始めた夏場、抑えのブライアン・ウォーレンが不振に陥る。不正投球疑惑などの問題もあったなか、8月17日、日本ハム戦でのことだった。 「8回を抑えてベンチに帰ったら、当時ピッチングコーチの井上祐二さんが『マサ、もう1回行ってくれ』って言うから、『えっ??』となって。『僕の気持ちは終わった』とホッとしているし、ウォーレンが行くと思っているから気持ちも切れている。『無理です。絶対に無理です』って言ったんです。そしたら『ウォーレンがこんな感じだし、いいから行ってくれ』って言われて」 コーチからの懇願のようだが、実際には監督の山本からの指令である。「功児さんが行けと言っているから断り切れない」と、意を決した小林は井上に言った。 「じゃあ行きます。ただ、打たれようが何をしようが、僕は手を上げてあそこに向かっていませんよ。『行け』って言ったのはベンチということを、失敗した時にはちゃんとマスコミに言ってください。お願いします」