「町長室での性被害」 虚偽の告白騒動はなぜ起きたのか? 草津町の現地取材で見えてきたこと
●ライターの「直感」で飛躍したストーリー
しかし、ここから話が飛躍する。 飯塚氏はこの文書を入手する前から湯治客が集まる話し合いの場で新井氏から直接この告白を聞いていたといい、こう書いている。 <その話し合いのとき、直感的にこう思ったのである。あ、彼女は黒岩町長とも体の関係があるに違いない、と> この「直感的な」見立てのもと、飯塚氏は2019年9月のインタビュー取材に臨んだのだった。 飯塚氏は告発本で、新井氏へのインタビュー時のやり取りを以下のように記している。 飯塚氏 <好意を抱いていた黒岩町長と「二人きりになった時に気持ちが通じた」とあるんですが、これは黒岩町長との間で、肉体関係があった、と推察されるんですが、そういうことでよろしいでしょうか?> 新井氏 <「・・・・・」(目を赤くし、涙ぐみながら、ゆっくりと首を縦に振った)> 飯塚氏 <あまり具体的なことは聞きづらいんですが、その、大人の行為をした場所は、町長公室の中で、ということでよろしいでしょうか?あるいは別の、どこかのホテルなどですか?> 新井氏 <(町長と)お会いするのは、町長の公室がほとんどでしたので・・・・>
●インタビュー後に肉体関係を告白する文書
告発本を読むと、この2019年9月のインタビューの際、新井氏の口から明確に“性被害”の証言が語られたわけではなかったようだ。 だがその後、新井氏から飯塚氏宛てに「町長室にて黒岩信忠町長と肉体関係をもちました」と自ら打ち明けた文書が送られてきたという。 そこには新井氏の署名とともに「令和1年10月13日」と書かれていた。 <その文書をみたとき、思わず「来た!」と呟いた> 飯塚氏は告発本にそう書いている。 届いた郵便物には黒岩町長と肉体関係を結んだ前後の経緯が書かれた書類も同封されていたといい、飯塚氏はここで、最初に抱いた「直感」が正しかったと確信するに至ったとみられる。
●町長の言い分を聞かずに出版
実は飯塚氏は、新井氏にインタビューした10日後の2019年9月19日に黒岩町長に取材する機会を得ていた。 しかし、新井氏の“性的関係”や“性被害”について真偽を尋ねることもないまま、2カ月後の11月11日に告発本を出版したのだった。 結果的に十分な裏付け取材をしなかったことが致命的なミスとなり、飯塚氏は名誉毀損が争われた裁判で黒岩町長への損害賠償を命じられることになる。 告発本が出版された後、新井氏は公の場で「黒岩町長から性被害にあったことは事実」などと自ら訴えるようになった。 黒岩町長や草津町に対するバッシングが強まった一方で、発端となった告発本の内容を疑問視する声は目立たなかった。