意外と多い、老後の人生「大失敗する人」に共通する「シンプルな勘違い」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。 権力の座にあった人でなくても、老後の居場所を欲して本末転倒な行動をとることがあるだろう。たとえば退職金を浪費してしまうのはその代表である。 退職金浪費型の人の典型的な行動は次のとおりだ。 まず定年退職祝い続きで何とも高揚した気分になる。それからしばらくすると一度に何千万円もの退職金が振り込まれる。お祝いの気分も持続しているので、まるで宝くじが当たったかのように感じる。同時に定年退職によって居場所を喪失したという感覚も出てくる。そこで狂ったようにお金を使って居場所を作り出す。 たとえば行きつけの居酒屋を作って毎日昼酒する。学生時代に聴いていた歌手の追っかけを始める。スポーツカーやキャンピングカーを買って全国をドライブしだす。 親身になって話してくれるというだけで証券会社が勧める投資信託に手を出す、という具合だ。 老後をめぐる人生経営の失敗に共通する特徴は、思いやりと居場所とを「奪い取るもの」だと勘違いしていることである。 思いやりと居場所とを闘争によって、権謀術数によって、浪費によって誰かから奪い取らないといけないと思い込んでいるからこそ衝突が起こる。 こうした衝突の数々がときに喜劇をときに悲劇をもたらす。 思いやりと居場所とが限りあるもので、誰からか奪うしかないならば、自分が奪われる側になることも当然ありうる。しかし、本当はそれらを創造することもできるはずだ。 たとえば、目の前の人を自分から思いやることのお返しとして相手からも配慮してもらえるかもしれない。そこから互いに思いやりあって居心地のいい居場所へと発展していくこともありうる。本書の紙幅の関係と私の経験不足からこれ以上は述べられないが、具体的な「思いやりと居場所の創造法」は無限にありうる。 人生を経営していく視点を持つことこそ、老後を幸せに過ごすための必須条件なのである。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)