人間味のある人物はたったの「5%」…最高裁判事たちの知られざる「人物像」に迫る
教養は所詮借り物...官僚タイプの裁判官
B類型 イヴァン・イリイチタイプ 45% イヴァン・イリイチとは、第5章で詳しく論じるトルストイの短編、『イヴァン・イリイチの死』の主人公であり、帝政ロシアにおける官僚裁判官である。イヴァン・イリイチタイプは、一言でいえば、成功しており、頭がよく、しかしながら価値観や人生観は本当は借り物という人々である。その共通の特質は、たとえば、善意の、無意識的な、自己満足と慢心、少し強い言葉を使えば、スマートで切れ目のない自己欺瞞の体系といったものである。 こう書くと、あまりよい人物とは思えないかもしれない。しかし、官僚、役人とはおおむねこのようなものであることが多く、イヴァン・イリイチタイプは、官僚の中ではかなり上質の類型なのである。旧大蔵官僚、行政官僚を代表するエリートが、ノーパンしゃぶしゃぶという不思議な名称の風俗店で接待を受けていた事件を思い出していただきたい。イヴァン・イリイチタイプは、そのような接待を受けたりするほど脇が甘くはない。つまり、官僚、役人に望みうる中ではかなり高いほうの類型なのである。だからこそ、トルストイがみずからの重要な作品の主人公に選びもするのだ。 このタイプは、頭は切れるし、人当たりもよいから、かなりの人間がコロッとだまされる。すばらしい、まさに最高裁判事にふさわしい人物じゃないか、と取り巻きには、また、弁護士や新聞記者でも考えの浅い人たちには思わせることができる。そういう技量にはきわめて長けている。また、形式論理にとどまる法律論であれば、それなりに整って受けのよいものを書くこともできる。 しかし、心ある裁判官の間ではあまり尊敬されていないし、同期に友人らしい友人もいない。教養は借り物、お飾りにすぎないから、本当にそれがわかる相手の前ではすぐにメッキがはがれる。こうしたタイプの人々の微笑には、人間の血の温かさ、重みといったものが感じられない。時には見栄えのする意見を書くかもしれないが、その本質はエゴイストである。 このタイプの人々に、イヴァン・イリイチ同様病気で早死にする人がままみられるのは、トルストイの天才としての直感を示すものだと思う(昼日中から執務室でアルコールが手放せなくなってしまった最高裁判事もいた)。このタイプの人々には、体面だけではなく、良心もある。その良心は、これらの人々の、出世のためのいじましい、また、醜い行動を、背後からじっと見詰め続けている。物言わぬ良心のその視線は、おそらく痛いものであるはずだ。このタイプの裁判官に、ヒエラルキーを昇り詰める以前にキャリアの半ばで挫折する人やいたましい自殺者が出ることがあるのも、同様の理由によるものと思う。 なお、B類型の人々の中には、もしかしたらA類型に含めてもよいかもしれない、そういう側面もある、という人物がわずかながら存在するので、A類型を若干増やし、B類型をその分削ることも、あるいは考えられるかもしれない。しかし、A類型は、どんなに多くても、6~7%止まりではないかと思う。 『最高裁に潜む「感情が全くない“怪物”」…他者を見下し躊躇なく切って捨てるトップエリートたちの「実態」』へ続く 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)