「察して」で逃げずに言葉で説明できるようになった夫。夫の気づきと変化を敬うようなった私【小島慶子】
エッセイスト・小島慶子さんが夫婦関係のあやを綴ります。 ようやく訪れた秋の涼しい風に吹かれながら、早く夫が帰ってこないかなあと思っている。引っ越しの準備に思いの外手間がかかって、帰国は年明けになりそうだ。昨夜は仕事帰りに、近所の沖縄居酒屋を一人で下見してきた。安くて美味しい。夫を連れていくのが楽しみだ。 これまで、いろんなところで夫婦のことを書いたり話したりしてきた。「夫さんは平気なのか」と心配されることがある。平気かどうかはわからない。書くのをやめてほしいと言われたことはない。ときどき、妻が書いたものを読んで激賛している。自分たち夫婦について書かれているのにである。読んだのか読んでいないのか、何も言わないこともある。私は夫を傷つけるために書いているのではないが、私から見た出来事を一方的に書くことになるので、彼が読んで傷つくことはあるだろう。 夫は、それに実家の母もそうなのだが、たとえ自分たち夫婦や母娘のことが語られていても「いい文章だね」と言う。何かを表現する人に対するリスペクトが尋常ではなく深い。そんな二人に私は心から感謝しているし、めちゃくちゃ尊敬している。 個人的なことを書いたり語ったりするのは、わが身に起きたことは誰の身にも起きる可能性があると思うからだ。特別な体験だから書くのではなく、全く特別なことではないから書くのである。多くの人の身に起きる出来事の背景には、社会的な問題があるはずだ。同時に、他人がジャッジできない個別の痛みや幸福もある。 夫は特別な悪人ではなく、平凡で善良な人だ。夫婦関係が苦しいのは、平凡で善良な優しい伴侶が、そうではない面を持っていることを知るからである。 結果として私は、人が失敗して苦しみながら気づき、学び、変化するさまを、20年近くかけて目撃した。実に尊いものを見た。少女期からうんと長い間、私は幻想に囚われていた。何一つ失敗せず全てにおいて誰よりも優れていて、心の底から尊敬できる完璧な伴侶に頼り切って生きていきたいという憧れがあった。無謬(むびゅう)の英雄に縋りたいのだ。その正反対の姿を、夫は繰り返し私に見せた。その度に私は心底死にたくなり、不安障害の薬を飲んだりカウンセリングを受けたり一人旅をしたりして何とか生き延びた。 やがて夫は15年以上かかって、言葉にできなかったものを少しずつ言い表せるようになっていった。有毒な男らしさや無意識の女性蔑視に気がついて、関連する本を読むようになった(私がそれまでに8000万語ほど費やして伝えた時には響かなかったのだが)。知らない間にフェミニズムの本を読み、「これ面白かったよ」と教えてくれたりもするようになった。何歳になっても、人には自ら気づき、学び、変わる力がある。でも気づきがいつ訪れるのかを、他人が決めることはできない。私も大事なことを学んだ。だんだん、頭の中の理想の伴侶、無謬の英雄の影が薄くなっていった。英雄を追い払い、囚われ人だった私を解放したのは、夫である。 もう少しだけ具体的に書かないと分かりにくいかもしれない。あくまでも私の視点での説明なので、夫の視点とは異なるだろう。それを前提に、私たち夫婦の関係について憶測でジャッジせず、読んでほしい。 誰よりも私に親切で、子供達の良き父親であり優しく穏やかな夫が、かつて全く無自覚にひどい性差別をしていた。それを知って、私は精神を病んだ。あまりにも大きな乖離をどうしても受け入れられず、症状が落ち着いてからは苦しみを封印して、夫のいい面だけを見ることにした。子どもの手が離れ始めた頃、封印の蓋が開いた。なぜあんなことをしたのかと夫に問い、会話が成立せず、一度は離婚を決意するまでに至った。