巨大なヒグマに襲われた…アイヌ伝説の猟師が実行した「恐るべき撃退法」とは?
長きにわたって絶版、入手困難な状況が続いていた伝説の名著『羆吼ゆる山』(今野保:著)がヤマケイ文庫にて復刊。「赤毛」「銀毛」と呼ばれ恐れられた巨熊、アイヌ伝説の老猟師と心通わせた「金毛」、夜な夜な馬の亡き骸を喰いにくる大きな牡熊など、戦前の日高山脈で実際にあった人間と熊の命がけの闘いを描いた傑作ノンフィクションです。本書から、一部を抜粋して紹介します。アイヌ伝説の猟師・沢造と銀色の毛をもつ巨熊との対決は――。
山の収穫
沢造は、猟をするために山に入るときは、ニワトリの脂身を多めに持ってゆき、川の流れにつけて血抜きしたウサギの肉をこの脂で焼く。するとウサギの肉はニワトリの肉を焼いたようになって、いい匂いが染み込む。これを餌にすると、まず、どんなキツネも喰いついてしまう、という。 それでも罠に掛からないキツネには、羆に使う口発破の小型のものを嚙ませる。この口発破は、塩素酸カリウムと鶏冠石(砒素の硫化鉱物)にセトモノの細片を入れて調合するのだが、これらを混ぜ合わせるのはきわめて危険な作業となる。 さて、猟場を一回りした沢造は、獲物を入れた背負い袋を背にして帰途についた。 そして、一番楽しみにしていたイワナ沢の例の一本橋の近くまで戻ってきたとき、橋の上に置いた弓張り仕掛けのハネ罠に、見事な黄テンが掛かっているのを見つけた。今日はすでに、茶の毛色のテンを二匹得ていたが、これほど見事な色合いの黄テンは滅多に捕れない代物なので、沢造は思わずほくそ笑んで橋に駈け寄った。 背の荷物を崖っ縁の雪の上におろし、一本橋の上にそろりと足を踏み出した。針金で首を絞められた黄テンは、すでに固くなって、仕掛けた弓の先にぶら下がっている。そこに近寄って首の針金を外し、テンを持ち上げて立ち上がったとき、不覚にも足元がぐらついてよろけてしまった。 沢造は咄嗟にクルリと体の向きを変え、崖っ縁に飛んだ。すると、そこに積もっていた雪がぱっくりと割れて、大きな雪の塊りが沢造の荷物を乗せたまま崖下のイワナ沢に落下し、ドスンと音をたてた。 「ありゃー、荷物まで落ちてしまった。しょうがねえなー、沢の入口から回らねばなんねえか」 沢造は舌打ちしながら左手の斜面に向かった。そうして本流であるベツピリカイ川の岸辺にいったん降り、そこから右岸伝いに下ってイワナ沢に出合いから入り、右側の崖の下を歩いて、荷物の落ちている上流に向かった。 高い崖の下に雪が砕け散っているところがあって、荷物はそこに雪まみれになってころがっていた。その荷物に手を伸ばしかけたとき、後ろの方で妙な物音がして、沢造の背にゾクリと寒気が走った。はっとして振り返ると、崖下の窪みから落葉と雪を蹴散らして一頭の熊が飛び出した。