ブラジル日系社会『百年の水流』再改定版(2) 外山 脩
水野、上塚、平野
ところで、筆者が最初に南樹から聞いた話の中に、意識的に記事にしなかった部分がある。記事にしたことは、忘れてしまっているのに、ヘンなもので、こちらは、あらまし覚えている。 受勲を辞退する理由を、南樹が云々していた時のことである。その口から人の苗字が次々と飛び出した。水野、上塚、平野、と。 ややあって筆者は、それが水野龍、上塚周平、平野運平のことである、と気がついた。この国に於ける日系社会史上の「代表的パイオニア」として、評価が定着していた人物である。偉人視する説すらあった。 ところが、南樹はその時、まず水野とその偉業とされる移民事業を罵ったのである。次いで上塚とその功績といわれる植民事業を、憤懣ヤルかたないという口調で非難した。平野についても「平野だって……」と舌を動かし始めたが、すぐ口を噤んで、一寸きまり悪そうに、こちらをチラッと見て、話を中断させてしまった。 筆者は、後日、資料で知ったのだが、水野と上塚は一九三三(昭8)年、日本政府から勲章を貰っている。戦前のブラジル在住の邦人に対する叙勲は、これが最初で最後である。平野は貰っていない。その十数年前、若くして鬼籍に入っている。 前項も含めて、以上の幾つかの材料から判断すれば、南樹は水野、上塚の裏面をあげて、叙勲のデタラメさを論証しようとしていたのである。ただ、そうしている内に舌がすべり、常に二人とともに「代表的パイオニア」扱いされている平野まで批判しかけたのだ。 しかし平野は勲章を貰っていないことを思い出し、自分の話が本旨から逸れていることに気づき、聞き手の筆者も同様に気づいているのではないか……と、きまり悪くなり、口を噤んだのであろう。 話の逸れはともかく、ここで重要な点は、南樹が水野たち三人に対して、通説とは大きく異なる人物評価をしていた━━そのことである。 ただ「そのこと」は、筆者は、かなり日時が経ってから悟ったのであって、この時は知識不足から、話の内容を充分に咀嚼できずにいた。ために、記事の中で的確に表現できる自信がなく、原稿から削ってしまったのである。 削ったのには、ほかにも理由があった。 当時、一世の年輩者の中には、何気ない雑談の中でも、誰か人の名前が出ると、必ず毒を含んだ舌で、こきおろし、こきおろししている内に、別人の名前を次々思い浮かべて同じことを……という悪癖のある人間が少なくなかった。(つづく)