モチベーションにつながらず「プラス効果」が皆無…「憎悪」と「嫉妬」はどちらが“よりネガティブ”な感情なのか
■ある意味、憎悪より性質が悪いのが嫉妬 憧れや羨望は「自分もあの人のようになりたい」となり、能動的な行動につながる場合があります。しかし嫉妬は、「不当にも奪われている」という感覚で止まってしまい、能動的な行動になりません。ある意味、憎悪より性質(たち)が悪いと言えるでしょう。 憎悪は人を行動に駆り立てるモチベーションになり、場合によってはいい結果をもたらすかもしれませんが、嫉妬は人を疲弊させるだけです。そこからリアクションしても、プラス効果はまったく期待できません。
嫉妬に飲み込まれているときには、そこに、「勘違いした所有欲」があると気づく必要があります。そうしないと、嫉妬から解放されることはありません。誰かに嫉妬したときは、その状況が本当に不当なのかと考えてみてください。たいていの場合は、実力どおりのことが起きているだけです。 「そのポストには自分がふさわしい」と考えていたかもしれないが、人事課はそうではなかった。「彼女は自分を好きになるべきだ」と思っていたかもしれないが、彼女自身は別の相手のほうがよかった。
本人は不当だと思っていても、冷静に見てみれば不当でもない。自分の認識自体に錯覚があっただけ。嫉妬から解放されるには、それが理解できるかどうかです。 そこに気づけば、嫉妬は無駄な感情だと一発でわかります。これが嫉妬の呪縛から逃れる第一歩です。
南 直哉 :禅僧