モチベーションにつながらず「プラス効果」が皆無…「憎悪」と「嫉妬」はどちらが“よりネガティブ”な感情なのか
そもそも人が怒るのは、「自分が正しい」と信じているからです。しかし、その「正しいこと」すらあいまいなものであって、変化するものです。それがわかっていれば、一時的にムッとすることがあっても、さほど激しい怒りにはならないはずです。 「自分の言っていることはどんな場合も正しい」と思い込むのは、仏教からもっとも遠い感情です。だから、「怒る」行為をとても嫌います。苦しみを生み、悟りを妨げる3つの毒「三毒(さんどく/貪、瞋、痴=貪り、怒り、愚かさ)のひとつに数えられるほどです。
「あっ、また怒ってしまった」と思った時点で、もう一度本当に自分が正しいのか、再検討する余地があると考えてください。およそ物事は、ある一定の条件でしか成立していません。怒りに翻弄されたくなかったら、この考え方を頭にたたき込んでおいたほうがいいでしょう。 ちなみに、当座の怒りを鎮めるには、怒りの相手から物理的に離れることをおすすめします。また、立っているのではなく、床に直接座ってしまうことが効果的です(椅子よりはるかに効果的)。
■苦しい嫉妬は、錯覚が生んだ感情にすぎない 怒りと同じく、嫉妬にも人間は煩わされるものです。憧れや羨望なら、「あんなふうになりたい。なれればいいのにな」で終わります。 一方、嫉妬が生まれるのは、「本来、自分が持つはずだったものを人が持っている」と勘違いしたときです。本当は、自分がそうなるべきだった状況を他人に奪われた。そう錯覚するから激するのです。嫉妬の根っこにあるのは所有欲であり、「自分のもののはずなのに、不当にも奪われている」感覚です。
たとえば、ほとんどの会社員は、スティーブ・ジョブズや孫正義には嫉妬しないでしょう。また、いくら野球が好きでも、大谷翔平に嫉妬する人はいないはずです。 普通の人間は彼らと同じ土俵にいないので、憧れはあったとしても嫉妬にはなりません。交際相手が「自分に向けるべき愛情」を人に向けていると思うから、また競争相手が「自分が得るはずだったポスト」に先についたから、嫉妬するわけです。 もし出世競争で負けても、相手を真のライバルだと思っていたら、そこには尊敬があるので嫉妬の対象にはなりません。自分もさらに精進しようと思うだけです。嫉妬は、感情の中でもっともプラスの作用を生まないものです。