モチベーションにつながらず「プラス効果」が皆無…「憎悪」と「嫉妬」はどちらが“よりネガティブ”な感情なのか
坐禅同様、これも技術として身につけていくためには、一定の訓練が要ります。しかし、試してみる価値、自分のものにする価値はあるはずです。 ■怒りは、何も解決しない ある老師が、以前こんなことを言いました。 「直哉、俺も90歳を過ぎて、だいたいのことは解脱(げだつ/煩悩から脱すること)したと思っていた。もう、うまいものを食べたいとも思わないし、女に惚れることもない。だけどな、怒るのだけはダメだった。この歳になっても頭にくるんだよ。怒りからは解脱できない。仏の道は遠いな」
念のために言うと、老師が「頭にくる」のは個人的なことではありません。この老師は、寺で戦災孤児の救済活動をするなど、ボランティアの草分けのような活動を続けた人です。 彼の怒りは、社会的な問題や悲惨な状況にある人たちに対して、世間があまりにも無関心だということに向けられたものです。老師にとってこの怒りは重要な意味があり、また、これまでの活動を支える大事なエネルギーにもなってきたのでしょう。 そんな「怒り」であれば、捨てる必要はないと私は思います。その感情が激したときに、心の枠の中からこぼれないようにすればいいだけの話です。しかし一般的に見れば、怒りが、手こずる感情のひとつであるのは間違いありません。なにしろ、90歳の禅僧まで、捨てられないと言ったのですから。
「もう怒らないと決めたのに、小さなことで部下を叱ってしまうのです」 「パートナーの言動に腹が立ち、怒りが溜まっていつもイライラしています」 こんな悩みをよく聞きます。ついカッとなってしまうのは、「怒ればなんとかなる」といった妙な思い込みがあるからです。冷静になれば、いくら怒鳴っても、相手は畏縮するか反発するだけだとわかるでしょう。 怒る行為に効用があるとしたら、ただひとつ。「問題がここにある」と過激に指摘することだけです。
しかし、怒りにまかせて問題を指摘したところで、相手は決して納得しません。また、問題が解決することもありません。 もし、誰かがあなたに怒りをぶつけてきたときは、「この人はなんの問題を指摘しているのだろう」と考えれば、それで十分です。 たとえば、上司が「結論から言いなさい!」と部下を叱ったとします。それは、「報告がまわりくどい」と問題を指摘しただけです。だから、叱られたほうは、次からは、端的に現状報告すればいいわけです。短気な上司がどんなに激昂しても、「この人は、怒れば問題が解決すると思っているのだな」と、指摘された問題だけ捉えて、余計な怒りは受け流せばいいのです。