モチベーションにつながらず「プラス効果」が皆無…「憎悪」と「嫉妬」はどちらが“よりネガティブ”な感情なのか
曹洞宗・永平寺で約20年におよぶ修行を積んできた禅僧の南直哉氏は、「永平寺は巨大組織なので、ある意味では一般の大企業と同じ。部下は動かないし、上司は話が通じない。日々イライラすることもあれば、怒りが収まらないことも起こりました」と振り返ります。 心安らかに暮らすためには、そうした「感情の波」からいったん降りることが大切さだと説く南氏が、とりわけ厄介な「2つの感情」について解説します。 ※本稿は、南氏の著書『新版 禅僧が教える心がラクになる生き方』から、一部を抜粋・編集してお届けします。
■感情の波から「いったん降りる」技術を身につける ときには感情が揺らぎ、大きく波立ったとしても、その流れをいったん自分で切ることができる。私が身をもってそう知ったのは、永平寺の役寮時代でした。 曹洞宗の総本山である永平寺は、おおぜいの僧侶が所属する巨大組織です。僧侶の集団といえど、役職が決められ序列がはっきりしています。その意味では、一般の大企業と同じです。部下は動かないし、上司は話が通じません。日々イライラすることもあれば、ときには、怒りが収まらないことも起こります。
しかし、われわれ禅僧には坐禅があります。日課の坐禅によって感情や思考がいったん遮断されると、自然に意識がクールダウンし、状況を新しい視点で捉え直すことができます。 「部下が失敗したのは、自分の指示が悪かったのかもしれない」 「そもそも初めから、失敗しても仕方がないと思ってまかせたのではないか」 どんなに腹が立っていても、坐禅後はそう思い直し、自分がどう動けばいいのか、次の展開が見えることがよくありました。
思考や感情の波に巻き込まれたまま、物事を考えても意味はありません。感情の流れを切ることが、習慣として身につけられるかどうか。「不動心」を育むためには、これが外せません。 しかし、頭で渦巻いている感情や思考は、自分の意志で止めようと思って止まるものではありません。感情や思考の動きを沈静化させ、意識の方向を切り換えるためには、体のほうから感情をコントロールするテクニックが必要なのです。 ■「単調な肉体労働」を繰り返すと感情の起伏が収まる