お別れ“秒読み”H2Aロケット、最終50号機を公開 49号機は成功
50号機は報道公開後、先月27日に船で種子島へと出荷された。なお機体上端の人工衛星を覆うフェアリングは川崎重工業が兵庫県内で、第1段に取り付ける固体ロケットブースターはIHIエアロスペースが群馬県内で製造。それぞれ船で種子島に運び、最終的に組み立てる。三菱重工業は機体に、最終号機を記念するデカール(シール)を貼り付けるという。 50号機機体の取材時、すぐ横には製造中のH3ロケット5号機の機体も横たわっていた。H2Aの第1段に「NIPPON」、H3に「JAPAN」と大書されて並んでいるのは、明らかに世代交代を象徴している。だが今回、H3はやむを得ず一部が写り込むほかは撮影禁止。読者にもっとクリアな“歴史的激レア”写真をお届けしたかったのだが…。
49号機成功、続く打ち上げへ“弾み”
一方、一つ前の49号機は政府の情報収集衛星レーダー8号機を搭載し先月26日、種子島宇宙センターから発射。衛星を所定の軌道に投入し、打ち上げは成功した。
当初は先月11日に計画したが、悪天候が続き、半月にもわたり延期された。H2A単独の成功率は97.95%。全9機が成功したH2Bと、初号機が失敗し2、3号機が成功したH3を合わせ、H2A以降の成功率は96.72%となった。 H3初号機の失敗は、第2段エンジンの電気系統の異常によるものだった。原因となった可能性がある3通りの要因について、絶縁処置や検査強化などの対策を講じ、2、3号機は連続成功している。これらの要因のうちH2Aに共通するものについて、50号機にも対策を講じた。
H2AとH3を合わせ、5機連続の成功となった。今月26日に打ち上げられるH3の4号機と、H2A最終50号機の成功に向け、弾みを付けた形だ。
開発の歩み…技術導入から国産化へ
50号機に達するH2Aは疑いなく、日本の科学技術が歳月をかけて完成度を高めた、歴史に残る逸品だ。新聞報道には「名作」との表現も見受けられる。その進歩は例えば、ロケットの心臓部であるエンジンの開発に見いだせる。