出会いのきっかけはマンガ『違国日記』だった…叔母と姪の「特別な絆」を描いた「芥川賞候補作」
「それは、相手を知るほどに自分を知っていくような、永遠に繰り返される愛の問いなのだ。」 第172回芥川賞候補作!乗代雄介『二十四五』 第172回芥川賞候補に選出された、乗代雄介さんの『二十四五』の刊行を記念して、僕のマリさんに書評「繰り返される愛の問い」をご寄稿いただきました。『群像』2025年1月号より特別にお届けします。
書いて生きる道のなかで
これまで変な名前で何冊か本を出版してきたが、自分の作品を友だちや家族に読んでほしいという気持ちがいまだに湧いてこない。気恥ずかしさというものがないわけでもないが、読んでしまったら「面白かった」「よかった」と言わざるを得ないだろうし、余計な気を遣わせるのでは、と想像してしまうのだ。 それに何より、「近しい人が書いたから読む」という読書の動機は、自分にはどうにも消極的な行動に感じてしまう。つまり、名前も顔も知らない赤の他人に能動的に読まれ、その上で好きか嫌いかを感じてもらう、そのほうが書き手の自分にとってはずっと望ましいことなのである。しかしわたしは、自分が考えていることを本にして世界に発表していながら、そのくせ「書いていないときの自分も評価してほしい」と願う我儘なひねくれ者だ。 いつだって、「わかってほしい」と「わからないでしょうね」という気持ちがせめぎ合っている。いじけてぐずぐず生きてきた四半世紀を経て、そのぐずぐずした気持ちを書いて生きる道が現れた。だけど、歳を重ね、しなやかに生きられるようになったいまでも、切実な思いを抱いて生きていた時の孤独や苦悩を、鮮烈に思い出す。それは孤独や喪失の物語に触れた時に、色濃く浮かび上がる共感のようなものだった。
出会いのきっかけは…
乗代雄介『二十四五』は、『十七八より』『最高の任務』などにも登場する阿佐美景子の物語で、叔母である「ゆき江ちゃん」を亡くした数年後に小説家デビューし、弟の結婚式に向かう新幹線で出会った大学生の夏葵との交流を描く。 読書家で該博な叔母の影響を大いに受けて育った景子は、11歳の時に彼女から日記帳を手渡されたのをきっかけに、見事に読み書きの「フリーク」として成長した。景子が夏葵に新幹線で話しかけられたのは、車内で読んでいたヤマシタトモコ作『違国日記』の最終巻がきっかけだった。 「孤独を/絶望を/表す言葉をまだ/知らないというのは/一体どんな苦しみだろう/生涯かけても見つからない/ことにさえわたしたちは/怯えていなければならない」──『違国日記』の5巻に出てくる一節である。 『違国日記』は、人見知りな小説家の槙生と、事故で両親を亡くした姪の朝が共に暮らすなかで、時にぶつかりながらも互いを見つめ、心を通わせようと歩み合う物語だ。周りと違う自分、「変わっている」と言われる自分、本当の気持ちを吐き出せない自分。そんな幾人もの孤独や傷が行き交い、ぶつかり、そして発光する過程を描いた群像劇である。『違国日記』は、景子が亡くなった叔母に貸した最後の漫画であり、叔母と姪の特別な絆を描いたこの作品を手渡した行為が、彼女なりの愛情表現であったということは論を俟たない。