『サーキットの狼』の中でもランボルギーニ「ミウラ」は別格だった! 憧れの地「ミウラ牧場」を訪ねる夢を実現しました【極私的スーパーカーブーム】
池沢先生が描くデフォルメされたミウラがお気に入り
ブームが頂点を迎えた頃、日本には本当に多くのスーパーカーが存在した。その中の御三家といえば、やはりフェラーリの「365GTB4BB」や「512BB」、ランボルギーニの「ミウラ」や「カウンタックLP400」、ポルシェの「911」、あるいは「930ターボ」といったところだろうか。もちろんロータス「ヨーロッパ」もディーノ「246GT」、ランチア「ストラトス」といったところも忘れてはならない。それらはいずれもサーキットの狼における主役である、風吹裕矢の愛車であったからだ。その人気は御三家に匹敵するものがあった。 それではこの時、自分自身が最も興味を持っていたスーパーカーは何だったのか。フェラーリのBBシリーズはもちろん夢のクルマだったけれど、ランボルギーニはカウンタックよりもむしろミウラが趣味だった。とくに池沢早人師先生が描く、さらに低くデフォルメされたミウラはお気に入りで、ミウラへの憧れはもちろんのこと、さらにチューニングを進めた「イオタ」をいつか見てみたいという願望も相当に強かった。それがミウラをベースとした、ミウラSVRというモデルであることも、真のイオタは1971年にすでに事故で焼失してしまっていることも知らずに。
スーパーカーとは何か? ジャーナリストとなって夢を追求
スーパーカーに対する知識欲は、ブームが終わっても消え去ることはなかった。世の中ではすでにスーパーカーが忘れ去られ、その中でどのようにしてスーパーカーにアプローチすればよいのか。自分なりに考えた、幼稚といえば幼稚な考えが、スーパーカー、いや自動車を扱う雑誌の編集部に籍を置き、スーパーカーの原稿を書くということだったのだ。 もちろんそのようなチャンスがすぐに訪れるわけではない。最初の仕事は取材に使うクルマの磨きや、それをロケ地まで運ぶ仕事だった。けれどもそれは大きな経験になった。いつかはスーパーカーにたどり着くことができると信じていたからだ。そしてこの頃、ある疑問が頭の中で生まれる。「スーパーカーって最初に誰が作ったものなの」。「それはいつの話なの」。ジャーナリストとして活動する覚悟が決まったのはこの時だった。 それからさまざまな文献を読み、自分なりにスーパーカーとは何かを考えてみた。高性能エンジンを美しいボディに搭載し、超高速走行を可能にする高価なクルマ、という定義でいいのなら、あるいはフェラーリがコンペティツィオーネ(レースカー)の「250LM」と、ストラダーレ(ロードカー)の「275GTB」を作り分けた時といえるかもしれない。だがここにミッドシップという条件を加えると、多くのスーパーカー候補は消えるが、その代わりスーパーカーの祖として登場するのはランボルギーニのミウラということになるだろう。ミウラが誕生した地、サンタアガタ・ボロネーゼに行ってみたいと思うのは当然だ。 ジャーナリストになって幸運にもその夢を叶えた僕は、もうひとつのミウラ生誕の地、スペインでドン・アントニオ・ミウラが経営する闘牛牧場、「ミウラ」を、自らドライブするミウラ P400SVで訪ねる夢をも叶えた。それはミウラが誕生して50年目にあたる2016年のこと。ここでフェルッチオ・ランボルギーニとドン・アントニオ・ミウラは、後にスーパーカーの祖として称えられるモデルに、ミウラの名を与えることに同意したのだという。 もしも日本でスーパーカーブームが起きなかったら、自分の人生はどのようなものになっていただろうか。それを考えると、『サーキットの狼』は当時の子どもに、まさに何よりも大きな影響力を持った、スーパー・コミックにほかならない存在だったのではないかと思っている。
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