世界中で知られる詩「子は親の鏡」はなぜ生まれた? 最後の一文に作者が込めた知られざる願い
詩「子は親の鏡」の生い立ち――ドロシー・ロー・ノルト
詩「子は親の鏡」を書いたのは、1954年のことです。当時わたしは南カリフォルニアの新聞に、豊かな家庭生活についてのコラムを連載していました。わたしには、12歳の娘と9歳の息子がいました。地域の公開講座で家庭生活に関する講義を行ない、保育園で子育て教室の主任を務めていました。後に、この詩が、世界中の人々に読まれることになるとは、まったく予想だにしていませんでした。 わたしは、詩「子は親の鏡」で、当時の親御さんたちの悩みに答えたいと思っていました。どんな親になったらいいのか、その答えをこの詩に託したのです。50年代のアメリカでは、子どもを厳しく叱ることが親の役目だと思われていました。子育てで大切なのは、子どもを導くことなのだと考える人はあまりいなかったのです。 子どもは親を手本として育ちます。毎日の生活での親の姿こそが、子どもに最も影響力を持つのです。わたしは、詩「子は親の鏡」で、それを表現したかったのです。 この詩は、長い間、様々な形で人々に親しまれてきました。アボットラボラトリー支社ロスプロダクツによって、詩の短縮版が病院で配布されました。そして、新しく親になる何百万人というお母さん、お父さんに読まれてきました。この詩はまた、十カ国語に翻訳されて世界中で出版されました。そして、子育て教室や教員セミナーのカリキュラムの一部として、教会や教室で使われてきました。この詩が、親御さんたちのよき道案内となり、励ましとなってくれればとわたしは願ってきました。わたしたち親は、子育てという、人生で一番大切な仕事に取り組んでいるのです。 一方で、詩「子は親の鏡」は、初めて出版されて以来、わたしの意志とは無関係に、独り歩きしてしまいました。意味を取り違えた書き替えや引用はもちろんのこと、商業的に利用されたこともありました。あるとき、本屋で、こんな文句を目にしたこともあります。 「本にかこまれて育てば、子どもは知恵を学ぶ」 詩のタイトルも、いろいろとつけられました。たとえば、「子どもの信条」「親の信条」「子どもが学ぶこと」。日本では、「アメリカインディアンの教え」とされました(この詩はアメリカインディアンの子育ての知恵を説いたものだと誤解されてしまったのです)。それでも、詩「子は親の鏡」は、生きのびてきました。 こんなふうに自分の詩が独り歩きしてしまっているのを、わたしはしかたのないことだと思ってはいました。でも、どうしても譲れないと思ったこともありました。たとえば、詩の最後の行をこう書き替えてあったのです。 「和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世に愛を見いだせるようになる」 この世には愛がある、その愛を探し求めよ、というのはおかしいのではないかとわたしは思います。愛とは、わたしたち自身の心のなかにあるものです。心に愛のある人が愛を生み出すことができるのです。そして、その愛が、人から人へと伝わっていくのです。愛とは、財宝や富のように探し求めるものではありません。わたしのオリジナルでは、詩の最後は、 「和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる」と記してあります。 わたしは、子どもたちが人生の荒波にもまれても挫けず、希望を持って生きてほしいという願いをこめて、この最後の一行を書いたのです。 詩「子は親の鏡」を、皆さんがこの先何かの雑誌で目にしたり、どこかの壁や誰かの家の冷蔵庫に貼りつけてあるのを見かけたりしたら、こんな詩の背景を思い出してください。たとえ「この詩は作者不詳」と書いてあったとしても。
ドロシー・ロー・ノルト著、レイチャル・ハリス著、石井千春訳