8月15日「平和を祈念する日」に考える、日本の戦争加害責任
この塔は、日中戦争が始まっていた昭和15年(1940年)11月に完成した。昭和15年といえば、神武天皇が即位して紀元2600年。それを祝う行事が日本中で開かれた。この塔を建てたのも、その関連行事だ。 塔の正面に「八紘一宇」という四文字が刻まれている。「世界を一つの家にする」を意味する。戦時中、日本が中国や東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた。この塔は「八紘一宇の塔」と呼ばれることもある。 塔を築いている石は、軍の協力で、日本が占領、または支配下にあった中国各地、アジア各地から集められたものだ。中には、中国の歴史的建造物の一部とされるものもある。中国側からは、返還すべきだ、という声も上がっている。 戦争が終わって79年が経っても、加害者としての歴史は、我々の身近なところに存在する。日本国内では「自分は戦後生まれだ。関係ない」「一体、いつまで謝らないといけないのか」という声は確かにある。戦争が終わって、来年で80年。戦争が遠くなれば、そんな声が高まるようにも思える。ただ、「戦争体験」=「被害者」という視点に比べて、「加害者」の視点、侵略した側にいたという視点は、やはり薄いのではないか。 それを、我々一人がそれをきちんと認識しないと、「加害行為を受けた側の心理」、つまり「中国やアジアの国々の人たちが、今も抱く意識」を理解できないし、お互いを真に尊重し合うことができないような気がする。だから、きょうは、こんなエピソードを紹介した。 ■◎飯田和郎(いいだ・かずお) 1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。
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