8月15日「平和を祈念する日」に考える、日本の戦争加害責任
大阪府内に住む、ある中国残留日本人孤児の女性を年に一、二回訪ねている。彼女は80歳。生涯、結婚せず、現在も公営住宅に独り暮らしだ。なぜ、この女性と知り合ったのか。私が北京に駐在していた時、取材テーマに、中国残留孤児の帰国問題があったからだ。 終戦前後の混乱で、さまざまな事情で、親と離れ離れになり、中国に取り残された日本人の子供たち。20数年前、当時は中国に住んでいたこの女性は、肉親を捜すために、日本を訪れる際に、私は彼女を取材した。以後、交流を続けている。 彼女に「自分の子供ではないか」「親戚ではないか」と名乗り出る人は最後まで、いなかった。ただ、彼女の親は、中国の大地で、生まれて間もない我が子と別れる際に、日本人の子供であることを示す証拠を残していた。彼女はそれを大事に持ち続け、それで彼女が日本人であることが証明され、永住帰国した。 帰国した時は、すでに50歳を過ぎていた。その年齢から日本語を習得するのはかなり難しい。現在も孤立しがちだ。私との会話は現在も中国語が中心だ。その女性の境遇を考えると、戦争被害者の一人に思える。そして、被害者であるとともに、彼女の生涯は、加害者としての日本を映し出していないだろうか。 国策として、当時の満州国(=現在の中国東北部)に入植した日本人は数知れない。確かに敗戦、そして混乱の中で、帰国した日本人は「戦争に巻き込まれた」という被害者の側面もある。だが、日本の大陸進出という加害行為がなければ、この女性の人生は違ったものになっていただろう。 ■身近なところに今も存在「侵略を正当化」するシンボル もう一つのエピソードは、宮崎市の平和台公園に建つ「平和の塔」にまつわる。石造りの塔で高さ34メートル。だれでも上がれる台座からは、日向灘が望める。 今年6月に、この塔を見学してきた。なぜ、この「平和の塔」と、戦争加害が関係するのか。石造りの塔と説明したが、1700個以上の石を積み上げている。一つひとつが違う。それぞれの石に寄贈した団体の名前が刻まれており、そのほとんどが戦前、中国や朝鮮半島、台湾などに展開していた日本軍や、日本人居留民団の名称。石の表面に彫られた、その名称は、風化しているものばかりだが、軍隊の師団の名称が読み取れる。