8月15日「平和を祈念する日」に考える、日本の戦争加害責任
■「戦争に負けた」被害者ではなく加害者の意識を 79年前のきょう、昭和20年8月15日は昭和天皇の玉音放送が流れた日というイメージだ。皇居前広場で、ひざまずき、敗戦に涙にくれる人々の映像に象徴される。一方、当時は8月15日を過ぎても、中国各地や、アジアではまだ戦闘が続いていた。8月16日以降に、失われた命もたくさんあった。 日本がポツダム宣言を受諾する(=無条件降伏)と伝えたのは、前日の8月14日。また、日本が降伏文書に調印したのは9月2日だ。この9月2日こそ、国際法上においての「戦争が終わった日」となる。そして、日本を戦ったロシアや中国はこの9月2日の翌日=9月3日を、「対日戦争の戦勝記念日」に定めている では、「8・15」とは、国際社会において、なんぞや? ということになる。そこできょうの本題だが、8月15日に「加害意識」について考えてみたい。 いま、日本が関わった戦争を検証するうえで、この加害意識、つまり自らの加害責任を改めて考えようという動きが、研究者の間で起きている。我々日本人にとって、過去の戦争と結びつきやすい、また、戦争について考える日として、きょう「8月15日」が存在する。 この日に存在する意味は、玉音放送に代表されるように、「戦争に負けた」という意識だ。敗戦に至る空襲、原爆の投下、さらには「身近な人を戦争で失った」「幸せな家庭が消え失せた」という悲惨な戦争体験…。市民一人一人の被害者としての意識が先立っているのではないか、という問いかけだ。 ■加害者としての日本を映し出す中国残留孤児 「被害者」の反対の「加害者」とは、たとえば、満洲事変。1931年、中国東北部で、旧日本軍が鉄道爆破を仕掛けたことをきっかけに始まった武力侵攻に代表される、日本が過去に行った加害者としての意識が欠けているのではないか、ということだ。 満州事変を例に挙げたが、遠い過去のことばかりが材料ではない。私なりに、現在も感じる「加害者としての事実」を、紹介したい。