【全文】ノーベル医学生理学賞の大村智氏「全て微生物がやっている仕事」
定時制高校に勤めた異色の経歴はどう生きてる?
NHK:すいません、NHKのスズキと申します。よろしくお願いします。先生、大学卒業されたあとに定時制の高校に一度勤めて、そのあとに研究者になられています。そういった経験もかなり異色の経験だと思うんですけども、そのときに大変苦労なされてると思うんですが、そういった経験、今はどんな点で生きていますでしょうか。 大村:ちょうどまだ、私も、あの。 NHK:もう子供のころから。 大村:私も大学出たばかりだからまだ若造、青年ですよね。それで、ある意味じゃあ多感だった、まだね。それでいきなり高等学校の先生になるんですが、夜間の先生になります。そうしますと、夜間高校の工業高校ですから、その近辺の工場から仕事を終えて駆け込んできて勉強する人たちがほとんどなんですね。 それでそういう人たちが、あるとき試験を、最後の期末試験があったときに、私、監督で回っていると、飛び込んできた1人が、まだ手が油、手のこの周りに油いっぱい付いて、それでよく洗う時間もなかったと思うんですよ、手をね。そういうのを見まして、ああ、こういうふうにして勉強してるのに、いったい私はなんなんだと。これは非常に私にとっては非常にショックだったっていうか、これはもっと勉強しなきゃいかんなと。ここから始まったんですよ。本当の研究者になろうと私、思ったのって。 初めは、しかもいい高校の先生になろうと思ったんですよ。こういう人たちに教えるのはきちっとした高校の先生。なんでも知ってる、なんでも教えられる、そういう先生になろうと思って、教育大学、東京教育、今は筑波大学になっていますけども、それから理科大学で勉強して。で、やってるんですけども、ただ、山梨から東京に出てきて、講義をするのも山梨弁ですよ。1回も東京で生活したことのない人間がいきなり東京で、それを教えていくわけですから、教える言葉が、聞くほうが江戸っ子たちが聞いてるわけでしょ。そうすると、冗談っていうか、からかうんですよね。私のその山梨弁だけど、それをそっくりまねして、ああいったようなことでまねして、それどういう意味ですか、なんてやり出すわけですよ。理科の先生じゃなくて語学の先生になっちゃうわけですよね。 そんなようなこともあって、だんだん私は研究者をやったほうがいいなというふうに変わっていったんですね。それで研究を、山梨大学に来て、微生物の、例のワインの仕事を、それから北里研究所に来て、ちょうどいい具合に化学と微生物の両方を使って研究する、まさにこの、私が今までやってきた仕事になってきたわけです。 NHK:先生自身、どんなときに勉強をすごいされて。 大村:え、何? NHK:先生自身、どんなときに、子供のころ、どこかベースだとかあったんでしょうか。 大村:何言ってるか分かんない。 男性記者:ごめんなさい、ちょっと代理で聞きます。以前なんですけれども、先生ご自身が山梨で小さいときいらっしゃったころに、勉強などで苦労されたりとかいうご経験があったのかということと、先ほど大臣とのやりとりの中でもありましたけれども、高校の定時制で教師を、ご自身教師をしていたときの、苦労してる生徒たちの姿から何か大きなものを感じたというふうにおっしゃっていましたけど、その2つのこと、ご自身の小さいころのことと、教員として見た、その苦労してる学生さんたちの姿、それぞれのエピソードと、どのようなご体験をされていたのかということを教えていただけますか。 女性:子供のころ。 大村:子供のころ私が良かったのは、百姓屋の長男なんです。で、父親というのは百姓の跡を継がさなきゃいけないから、なんでも教えてくれるんですよ。もう、種をまくことから、刈り取って、束ねて馬に付けてってそれを全て、もう中学卒業するころから高校までに、完全に青年たちが、村の青年たちがやることを全て私がマスターさせられるわけです、跡取りですから。それは非常にきつかったけれども、今になってみるといろんな面で僕は助かってると思います。勉強になってると思いますね。 女性:学校、学業の勉強、学業の勉強の苦労。 大村:苦労か? うん。高校の先生やりながら、東京理科大学行って勉強するんですけれども、そのときに、昼は理科大行って講義を受けるわけです。で、夜は墨田工業高校っていう学校に行って教える。そうすると教えることをよく知らんから、さらに今度は夜中に翌日のその仕事の準備する。もう本当に、もう結婚したときには家内が、もう俺もう本当に病人のようだったっていうんですよ。やせ衰えて。そういう苦労してずっとやってましたから。そういう苦学はしましたよ。 だけど、生来負けず嫌いですからスキー、もうスキーのあの苦労したからあの、スキー長距離でしたから、スキーの長距離の大変なんてのは、本当大変なんですよ。もう、この山登っていくときなんてもう心臓破裂して、どっかその辺りぶっ倒れそうな。そういうのを通り過ぎていろいろやってましたから、あれから見りゃあまだ楽だなっていう具合でね、自分でやってたんだ。そういう苦労はしましたよ。 NHK:最後に、これまで長い間ずっと研究なさってこられたと思うんですけれども、先生は研究やっていく上で、モチベーションといいますか、どんなところにやりがいを感じていたのか、そこをお願いします。 大村:うん? NHK:やりがいは。 大村:何を言ってる? 女性:研究する上でのやりがいはどういうところに感じてましたですかって。 大村:研究をやった、やりがい。やっぱし、だいたい、なんて言うかな。やったことみんなだいたい失敗するわけでしょう。そう思ってまた、そんなの、はるかに難しかったり、うまくいかなかったり。しかしそのうちの5回か6回、7回やってると、もうびっくりするぐらいうまくいくときがあるんですよ。その味を味わっちゃいますと、あと何回失敗しても怖くない。またあれが、ということを繰り返しやりましたよね。それが研究の楽しさですよね。 だから1回失敗して、それでもってもう駄目だと思ったら間違い、駄目ですね。失敗したから良かったんだと。これが必ず役に立つよと、立つんだということを思いながら研究は続けるってことが大事だと思いますね。 司会:はい、すいません。まだまだご質問があると思いますが、大村先生のだいぶ、ご疲労もたまってきておりますので、今回これで会見のほうを終了させていただきたいと思います。また、今日これからの個別取材、テレビ出演に関しては大村先生のちょっと体調を考慮いたしまして、ご容赦をいただきたいと思います。よろしくお願いします。本日はどうもありがとうございました。