書評:「日本美術史」を書き換える100年単位の挑戦。『この国(近代日本)の芸術──〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』
「日本美術史」を書き換える100年単位の挑戦 2020年1月、イェール大学で「西洋美術史概説」の授業が廃止されるというニュースが話題を呼んだ。「白人、異性愛者、ヨーロッパ人、男性の芸術家の作品ばかり」の内容に対して当惑する学生たちの声に応えた結果だ。 日本美術史もまた普遍的なものではない。まさしく本書は、「日本美術史」という枠組みを「脱帝国」の観点から再検証することが企図された総勢22名による論集である。北澤憲昭や佐藤道信らの制度論によって、「日本美術史」が近代につくられた構築物、いわば虚構であることはすでに論じられてきた。だが、本書はさらにその先を目指す。すなわち、帝国主義の論理によって歴史が形成される過程でそこから排除されてきた存在に注目し、それらを含み込むかたちで「日本美術史」を再構築することである。本書では、ナショナルな美術史の枠組みからはほとんど言及されてこなかった沖縄、アイヌ、在日コリアン等の美術が語られている。また、ナショナルな美術史の軸であるにもかかわらず、これまで扱われることの少なかった「天皇(制)」についても議論の俎上に載せている。 編者である小田原のどかは、『近代を彫刻/超克する』(講談社、2021)で日本の近代化の所産である「彫刻」を「思想的課題」として提示した。他方、もうひとりの編者である山本浩貴は、その書評(『群像』2021年12月号)で、小田原が近代日本の帝国主義と植民地主義の暴力的プロセスがもたらした歪みを彫刻の「思想的課題」として浮かび上がらせたことに対して「パンドラの箱」を開けたと表現しつつも、「『エール』にとどめておくつもりは毛頭ない。(…)私もできるかぎりのことをしよう」と締めくくっていた。 本書の企画は、言説上の問題にとどまるものではなく、ひとつの運動と言える。飯山由貴の映像作品《In-Mates》(2021)が1923年の関東大震災直後に起きた朝鮮人虐殺事件にふれる内容のため、主催の国際交流基金から発表を中止とされたことに対して、小田原が問題視し、山本に声をかけたことが契機のひとつとなっている。批評がいま問うべきこととは何か。本書にはその切実さがある。これまで是正されず先延ばしにされ続けてきた美術における制度的な課題や不正義を本書は直視する。岡倉覚三(天心)の時代から連綿と続いてきた「日本美術史」を切断し、脱帝国主義的に再構築するという100年単位の美術の制度改革に挑む確かな意志を感じさせる。 (『美術手帖』2024年4月号、「BOOK」より)
文=筒井宏樹(近現代美術史研究)