ねんがんのうまっているのをみつけたぞ!|旬のライチョウと雷鳥写真家の小噺 #20
ねんがんのうまっているのをみつけたぞ!|旬のライチョウと雷鳥写真家の小噺 #20
12月も後半、いよいよもって厳冬期の始まりである。一年のなかでもとくに寒くかつ雪深い時期であり、気温もマイナス20℃に達することも少なくない。私のなかでの定義として厳冬期とは、おおむねクリスマス寒波をキッカケに急激に冷え込んだのちの2月いっぱいのことを指す。タイミングなどにもよるが苛烈な場合にはその体感温度はマイナス50℃にも達する。とてつもなく厳しい環境であるが、愛しのライチョウさんたちにとっては安らぎに満ちた楽園の如き季節である。 編集◉PEAKS編集部 文・写真◉高橋広平。
「ねんがんのうまっているのをみつけたぞ!」
前条のとおり厳冬期の高山帯は筆舌に尽くし難く寒い。もちろん好天時などは暖かいと認識するほどの状況にはなるのだが、一面レフ板と化した雪の地表は太陽光を乱反射させ、顔とサングラスのわずかな隙間を掻い潜り、強力な紫外線のビームをもって眼球を焼き続ける。ならば曇天はというと、実は浴びる紫外線の量はたいして変わらず、まぶしくないからと油断してサングラスを外して行動しようものなら、気付いたときには手遅れな文字通りの「目玉焼き」状態に陥ってしまう。 以上のように寒さのほかに、紫外線との付き合い方も考えないと行動不能にすらなり得るなど、数限りないリスクと隣り合わせなのが厳冬期の日本アルプスの高山なのである。 正直、私の場合はだいぶ目を焼かれている模様で、日常生活においても強い光にはかなり敏感になってしまっている。 肝心のライチョウさんたちであるが、いかに厳しい寒冷地に特化した生きものであっても、あくまで生きものである。この極寒の地を快適にすごしてはいるが、それは環境を理解しそれに適した行動をしているから安全に生活しているのだ。 まず、無駄なカロリーを消費しないために基本的にあまり動かない。仮に動くときでも、極力ゆっくりと動き省エネに徹している。例えるなら、いわゆる「抜き足差し足」と見まごうばかりの緩慢さである。 摂取するカロリー源は、主にダケカンバの冬芽やシラビソの葉。先に触れた紫外線を避けるためかこれらの樹木の木陰で休んでいるのをよく見かける。恐らくであるが彼らの眼球が黒目なのは紫外線に対抗するためのものではないかと推察する。さらにこの黒目というのがビジュアル的にも大変愛らしくなるファクターであり、私のライチョウオタクマインドに非常に刺さるのである。 さて、冬場のライチョウの最大の特徴のひとつとして「埋まる」ということが挙げられる。これには色々と都合の良いことがあり、まずほかの生きものに見つかりづらいというのがある。季節を問わずライチョウは捕食者に見つからないことが最大の処世術であるので非常に大事なことである。 次に保温が挙げられる。生息域の気温がマイナス20℃という環境であるが、雪の中に入ってしまえばおおよそ±0℃前後まで暖かさを確保することができる。わかりやすく言えば「かまくら」あるいは「雪中ビバーク」とかである。 約10数年前、この「埋まっているライチョウ」を探り当てるべく、私は極寒の雪原を彷徨い歩いていた。冬の生態を表現するためには絶対に必要なシーンであるため、文献では知っていたもののまだ自ら撮影したことのないこの場面を求めラッセルを続ける。 いまにいたっては知り尽くしているフィールドも、当時は手探りで暗中模索で調べ回っていた。凍える指先と深い雪に苦心しながらとある斜面に行き当たる。ダケカンバが生茂る比較的急な斜面。適度な木陰のあいだになにやら不自然に掘り起こされた雪面を見つける。 「……これは、もしや。」私の想像どおりならこの近くにお目当てのものが……、いた! 今回の一枚は、やっとの思いで探し当てた「雪中に埋まっているライチョウ」の図。 いまでこそ周りの状況や経験値をもとに割と簡単に見つけられるようになってしまったが、紛れもなくこれぞ冬のライチョウ! というシーンである。埋まり方には複数のパターンがあり、雪面に頭から潜航したのちに少し離れた場所から頭だけを出す「潜航型」。その場で身をよじり埋まっていく「うずまり型」。ジッとしていたら雪が積もって勝手に埋まる「自然埋没型」。さらに顔すら出さずに全身が埋まっている「完全埋没型」がある。 完全埋没状態はさすがに私も気付くことができずに、出会い頭でお互いがびっくりするということもしばしばである。