くどうれいんさん「日記の練習」インタビュー 日記は私を“調律”してくれるもの
「生身の私」のために「日記の私」が書く
――いまもデジタルで日記を書かれていますが、ノートや日記帳といったアナログな方法で書くこともありましたか。 手書きだと、書こうと思ってもなぜか続かないんです。しかも、自分ひとりが読む形だからか、ものすごいうっとりしたものになってしまって。後から読み返したらきもち悪くなっちゃうようなことを手書きだと書いてしまう。ある程度、人の目を気にしながら書いた方が自分との距離感が適切で、読み返したときに自分がうれしいんですよ。日記って自分のために書いているものだと思うから、書いているときの私も、読み返したときの私も、うれしい、楽しいものとして残したいきもちがあります。 高校時代、同級生のほとんどがブログを書いていて、どんな子も対面で会うイメージとブログの書き味って違うんですよね。日記というものと向き合ったときに出てくる人柄みたいなものは、誰しもあると思います。私も15年近く日記を書いてきて、書き過ぎたと思った日や書いておけばよかったという日もあって、私なりにトライ&エラーを重ねてきたうえで、日記用の人格、編集のまなざしのようなものが確立されてきた気がするんですよね。今回の本も日記だからといって、私のすべてを赤裸々に書いているわけではないんです。 ――本書の後半ではけっこう感情の浮き沈みを書いていて、なかなかそういう部分は表に出しにくいんじゃないかなと思ったのですが……。 もちろん1年分の日記をまとめて振り返ってみると、しんどいときや弱っているときはあります。でも、後から自分が読み返したときにやっぱりおもしろいって思いたいから、自ずとしんどさや弱さを実直に書く必要がなくなるんです。だから、私の日記にあるのは、ある意味「編集された」しんどさや弱さなんですよね。 ――くどうさんは、どんなときに日記を読み返すんですか。 最新の自分から未来の自分に自信がないとき。私にとって日記って、何かを乗り越えたり成長や努力したりするための記録では全くなくて、自信がないときにいったん後ろを見て「変わらないね」「どうしようもないね」って笑い飛ばすために書いている感じなんですよね。それで、「ああ変わっていない」って思うと、ちょっと安心します。私の不安は、身の丈に合わないことをしようとしたり自信がなくなったりすると起こるので、「どうあがいても、この私だぞ」って。 ――本書に収録されている1年分の日記を読み返してみてどうでしたか。 ちょうど過渡期の1年でもあったんですよ。作家として独立して丸1年が経って読者の方も増えてきて、いよいよ作家として本格的にやっていくぞというタイミングの1年。それまではチャレンジャーとして書くことができたのが、「作家」として見られることになって“作家らしさ”みたいなこととどう向き合えばいいんだろうと葛藤していた日々でした。こんなにも揺らいでいる日記ってなかなか書けないんじゃないかな。でも、孤独なときや、うまくいっていないときほど日記っていいものだと思うので、そういう意味では日記を書くにふさわしい1年だったなとも思います。 私は自分を調律する感覚で日記と向き合っているんですよね。日記って、基本的にうまくいったときに書くものじゃなくて、うまくいっていないときに書いたり読み返したりして自分を整えるものだと思うんです。