”裁判所所長”による「法律」も「憲法」も無視したパワハラ…日本中に蔓延する”問題の大きい管理者裁判官たち”の実態
「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか? ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。 裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。 『絶望の裁判所』 連載第15回 『裁判官時代の立場はまるで「共産主義下の知識人」…都合の悪い人間を排除する組織の「闇」に耐えかねて裁判官を辞めるまで』より続く
転身に関するいやがらせと早期退官の事実上の強要
裁判官時代最後の象徴的なエピソードは、2012年初めの事件である。私の明治大学就任が決まった後に、裁判所は、何を行ったのであろうか? まず、事務総局人事局は、地裁所長を通じて、私に対し、承認があるまで、退官の事実も、大学に移るという事実も、口外してはならないと告げてきた。時期の決まった依願退官、それも大学に移る前提での退官の事実を口外してはならないなどというのは全く前代未聞であり、明らかないやがらせのように思われた。これについては、後になって、最高裁の裁判官会議における承認があるまでという趣旨であることが告げられたが、なぜ私の退官に限ってそのような形式的な承認の時点まで極秘にしておかなければならない必要があるのかについては、依然として全く説明がなかった。 また、この時点以降、地裁における職員のトップである事務局長(裁判官である高裁事務局長とは異なり裁判所の職員であり事務方であって、何らの決定権ももっていない)が、私に対して非常に無礼かつ官僚的、形式的な態度で接するようになったが、これは、所長が私に関する何らかの示唆をこの人間に与えなければ、絶対にありえないことである。 しかし、真に驚くべきことはその後で起こった。 1月30日の12時に、所長は、その朝私が提出していた大学講義の準備のための年次有給休暇の承認願いについて、日にちが多過ぎると言い、一度引っ込めろと言った。私は、やむなく、そのことには同意した。ところが、その後、所長は、私に対して、そんなに有給休暇を取るなら早くやめたらどうだと言い始め、その後、私が所長室を出るまでの間、同じことを、表現を変えながら、繰り返し、執拗に言いつのったのである。言葉自体は、逃げ道を残したあいまいな言い回しであったが、その目は完全に据わっており、声には激しい怒気がこもっていた。要するに、早期退官の事実上の強要であった。 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。