『FUJI ROCK FESTIVAL '24』、3日間で起きた“その瞬間だけ”の奇跡 音楽の理想郷としてのフェスの本質
今年の『FUJI ROCK FESTIVAL '24』(以下、『フジロック』)は苗場に会場を移してから25回目の開催。祝祭ムードが漂う中、ますます多様になる出演者のラインナップと、時代に則したフェスのあり方を追求する姿勢が印象に残った回だった。1997年の創設以来、試行錯誤を繰り返しながら現在の形に至った「日本を代表するロックフェスティバル」、その現在地点をレポートする。 【画像】ノエル、The Killers、Kraftwerk……『フジロック』ライブ写真 7月26日(金):DAY 1 苗場に着いて最初に観たのはROUTE 17 Rock'n'Roll ORCHESTRA。毎年恒例、『フジロック』のために編成されるスペシャルバンドである。Motörheadの「Ace of Spades」、The Clashの「I Fought the Law」などロックの名曲で会場を瞬時に盛り上げるお祭り感抜群のステージに、今年はフィンランドのガレージロックバンド USも加わって、総勢20名以上が入れ代わり立ち代わりして熱い演奏を繰り広げた。BRAHMANのTOSHI-LOWが昨年11月に亡くなったチバユウスケとの思い出を語り、そこからThe Birthdayの「涙がこぼれそう」を歌うと場内が一気にエモーショナルな雰囲気に。終盤にはミスターフジロック=スマッシュの日高正博氏が登場して、7月22日に亡くなったばかりのジョン・メイオールを偲ぶ場面もあり、全編にわたってロックの偉人や彼らが遺した素晴らしい作品、そして歴史へのリスペクトが溢れるステージだった。 続いてシカゴ発、ポストパンクバンドのFriko。メロディこそほのかに憂いがあるが、不協和音やノイズを混ぜたサウンドには確かなエッジがある。想像していたよりも勢いのあるパフォーマンスで、ニコ・カペタン(Vo/Gt)の奔放さ、荒々しく暴れる攻撃的なギターサウンドも痛快だ。そうかと思うと「IN_OUT」のような曲ではJoy Divisionっぽい冷徹さも存分に見せつけてくれ不敵な風格を感じさせもする。終盤に放たれた「Where We’ve Been」はまさに大団円という感じで盛り上がりは最高潮に。彼らがGREEN STAGEの大舞台に合うパワーを備えていることを証明した格好だ。11月には単独での再来日公演があるので楽しみ。 RED MARQUEEに移って、次はロンドン出身のアーチー・イヴァン・マーシャルのソロプロジェクト King Krule。この日は5人のサポートメンバーと共に6人編成のバンドとしてお目見え。それぞれ腕利きのミュージシャンのようだが音を綺麗にまとめすぎないようにしているのだろうか、ところどころで辿々しくなったりクセのあるブレイクを入れたりして、徹頭徹尾UKインディなアティテュードに胸がすく。Blurのデーモン・アルバーンを彷彿とさせるアーチーの味のあるボーカルをはじめ、妖しく絡みつくようなサックスのフレーズや、急にブツっと曲が終わるアバンギャルドな仕草など、そこかしこに仕込まれた奇妙なエッジに終始痺れまくった。終盤の「It’s All Soup Now」ではアーチーが「皆さん、猫のような声を出してください」とオーディエンスにリクエストし、大声で「ミャオー」と応えたのはとても楽しかった。表現の手数が多いので、いろんなスタイルが渋滞しつつ展開していくライブは二郎系ラーメンを食べた時のようなずっしりした満足感(つまり幸福な膨満感)をもたらしてくれた。個人的には今年の『フジロック』のベストアクトの一つである。 トリ前はAwich。彼女のハードコアな半生を凝縮した「Queendom」で始まり、冒頭からピリリとした雰囲気が場を支配する。これから始まるのはAwichという人間が全身全霊で敢行する、のっぴきならないショーなのだということが伝わってくる。「ALI BABA」「WHORU?」と、威厳に満ちた振る舞いでアジテートする彼女の姿に聴衆の意識は釘づけだ。ところがダブルミーニングを含んだ過激な「口に出して」の後、突如としてステージの雰囲気が変わった。登場したのはネーネーズのような、沖縄の伝統的装束に身を包んだ女性たち。三線を抱えた女性が沖縄民謡を唄う声が厳かに響き渡る。そこへ琉球スタイルに髪を結い上げたAwichが加わって「THE UNION」へと連なる流れがとてもよかった。彼女のルーツである“沖縄”を全面的にフィーチャーしたステージは海外アーティストも多く集うフェスに最適で、炎の特効を使ったスケールの大きな演出も含めて、とても見応えのあるものだった。物騒なライムを貫禄たっぷりに繰り出すかと思えば、柔らかな笑顔を見せ、たおやかな表現をする時もある。そのギャップに翻弄され、カッコよさに痺れる。終盤には畳み掛けるように「Bad Bitch 美学」を発射。闘う女たちの心からの言葉がマシンガンのように聴衆のハートを撃ちまくる。痛快だ。唾奇、OZworld、CHICO CARLITOとオールスターキャストで披露された「RASEN in OKINAWA」も素晴らしく、目にも耳にもずっしりとくるライブだった。 初日のヘッドライナーを務めたThe Killersは、当初予定されていたSZAがキャンセルになって、いわば代打の立場だったのだが、その穴を埋めて余りあるパーフェクトなショーを見せてくれた。「Somebody Told Me」で始まったライブはいきなりフルテン級の盛り上がりを見せ、白いジャケットで盛装したブランドン・フラワーズ(Vo/Key)は圧倒的なショーマンシップで観る者の心を捉えていく。歌が抜群にうまいのはもちろんだが、もう一つ、彼が凄まじく優れているのは“場を見る力”。客席の反応を確認しながら空間を支配し、“スター”の風格を見せつける一方で、ふとした瞬間には非常な親密さも感じさせる。他の追随を許さないフロントマンとしての包容力とカリスマ性。ライブセットは彼らのルーツであるニューウェイヴ、シンセポップを核に展開されていったが、そのサウンドは派手ながらも質実剛健なロックらしさにも溢れていて、どっしりしている。The Killersが世界中のフェスに呼ばれている理由を改めてひしひしと感じたのだった。 また、この晩起こった“奇跡”も忘れることができない。ライブ中盤、東京からやって来て客席で観ていたワタル(Wataru/Nape)という男性がステージに飛び入り、「For Reasons Unknown」のドラムを叩いたのだ。このオーディエンス飛び入り企画はThe Killersのライブのお約束でもあり、これまでもたびたび行われてきたが、ワタルは難しいブレイクのタイミングも完璧にこなす。隣で観ていた友人は「うますぎるから仕込みじゃない!?」と言っていたが、そう思ってしまうほどに堂に入った演奏だった。きっとThe Killersが大好きで、一縷のチャンスのために特訓をしたのかもしれない。そう思ったらとてつもない感動が押し寄せてきて目頭が熱くなった。ワタルにとって一生忘れられない思い出になったことは間違いないが、それを目撃した私たちにとっても特別で大切な思い出になった。 思えばThe Killersが前回『フジロック』に出演したのは20年前のこと。昼間のRED MARQUEEに出演していたバンドが20年の間にこんなに大きくなって帰還したこと自体が感慨深い。欧米に比べると日本でのThe Killersの人気はまだまだ及ばずという感じだが、この『フジロック』をきっかけにそんな状況も変わるのでは……? ラストの「Mr. Brightside」を聴いてまた涙。とにかくすべてにおいて心が揺さぶられる最高のライブ体験だった。