「イマーシブ・フォート東京」世界初!体験型テーマパークの舞台裏
そんな津野さんたちクリエイティブチームを影で支えるのが、数字を分析するマーケティングのプロ。100人いる「刀」の社員のうち、多くを占める。この日は、演劇にあまり興味のないライト層をどう取り込むか…戦略を練っていた。 「認知が1.5倍に増えると見込んでいる。それに加え、“好意度”を1.2倍に増やす。それが達成できれば、元の計画は上回る」。 現場は、こうした分析を元に動く。この日ゲストに招いたのは、演目の内容を知らないライト層の人たち。ゲストは、同時進行するシーンを選んで鑑賞し、自由に動くことができるが、初体験なだけに状況が読めず、どう対応したらいいのか分からない…。大人数が複数の場所を行き来するため、全員を巻き込んでいくのは至難の業だ。 「キャパ、減らしたい…」。世界初の挑戦と意気込んでいた津野さんだが、思わず本音が。オープンが近づくにつれ、焦りが見え始めていた――。
“憧れの異世界”へ客を呼ぶ!「ハウステンボス」生き残り戦略の全貌
去年10月、長崎・佐世保市。津野さんは、2年前から「刀」が支援しているテーマパーク「ハウステンボス」を訪れた。日本最大の敷地面積を誇るテーマパーク「ハウステンボス」は、オランダから職人を呼び、街並みを忠実に再現した施設で、津野さんはその“本物感”に注目していた。 1992年開業。ピークの1996年には年間380万人が来園したが、その後伸び悩み、経営破綻した過去も。再生の立役者として知られるのが、旅行会社「エイチ・アイ・エス」の澤田秀雄会長(当時)だ。2010年に経営権を取得すると次々と改革し、18年間赤字が続いていた「ハウステンボス」を、たった1年で黒字化させた。 しかしコロナ禍に突入すると、状況は一変。売り上げが激減し、本業でも苦境に立たされた「エイチ・アイ・エス」は、「ハウステンボス」を売却。買い取った香港のファンドから指名を受け、支援を行うことになったのが「刀」だ。
津野さんがハロウィーンの時期に仕掛けの舞台に選んだのは、美術館として使われている「パレス ハウステンボス」。 午後7時、本物さながらの洋館で、海賊やミイラに次々と襲われるホラーイベント「ホーンテッド・ハロウィーン」が始まった。クライマックスはミイラがダンサーになり、客と一緒に盛り上がる。