町野、大橋に次ぐ湘南の新エース候補・福田翔生が明かす飛躍の舞台裏「自分を変えてくれたふたりには感謝しかない」【インタビュー後編】
YS横浜で活躍し“夢の舞台”J1へ
東福岡高、FC今治、Y.S.C.C.横浜、そして湘南と、キャリを積んできた23歳のFW福田翔生だが、これまでの歩みは簡単なものではなかった。湘南でシンデレラボーイとなった彼の挑戦の日々に迫るインタビューの後編だ。 【PHOTO】勝利を願い選手と共に闘った湘南ベルマーレサポーター ――◆――◆―― 「Y.S.C.C.横浜からオファーが来たぞ!」 2022年の年末に高卒4年を過ごしたFC今治を“クビ”になり、自らの将来を悩んでいた福田翔生(以下・翔生)は、代理人からそう告げられた時、まさに胸をなでおろした。 「本当にホッとしました。心から『良かった』と安堵しましたね。同時に、自分からすればYS横浜が“運よく拾ってくれた”形なので、感謝も沸いてきました」 所属先がなかった日々を支えてくれた家族のため、拾ってくれたクラブのため、兄・湧矢と同じ舞台で戦うため。並々ならぬモチベーションで新シーズンに臨んだ翔生は、新天地・YS横浜で、あるふたりの恩人との出会いによって、大きな転機を迎えることにもなった。 ひとり目は、当時YS横浜に在籍していた元・日本代表MF松井大輔だ。「小学生の時には、松井さんのユニホームを着ていた」ほど憧れていた選手と過ごす毎日は、翔生を刺激した。 特に翔生が衝撃を受けたのが、松井の練習に取り組む姿勢だった。今治時代、トレーニングのしすぎで怪我までした翔生にとって、松井の背中は素晴らしい手本になった。 「オンとオフの切り替えがすごく上手くて、『とにかく、自分のために楽しめ』と背中で伝えてくれました。自分が一番だと思ってやれ、という考え方にも影響を受けましたね。今治での4年間は、様々な想いがあった末に、自分なりに“これが正解だ”と思って取り組んできました。でも、YS横浜でダイさん(松井)に出会って、あれは間違っていたと感じました。もしYS横浜に行けなかったら、今治時代と同じようにやり続けていたかもしれないので、ダイさんに会えて良かったです。 ただ、今治での取り組みを後悔したわけではありません。プロ入り後の4年間はほぼ毎日2部練習みたいなやり方だったし、思い返すとヤバイと思いますけど...。でも、その時に砂浜を走りまくったから身体が強くなったし、足が速くなった。自分で考えたメニューをこなし続けたから上手くなれた部分もあります。YS横浜で練習方法を改善できたのはすごく良かったけど、苦しかった今治時代も含めて、すべてつながっているんです」 もうひとりの恩人は、星川敬監督だ。指揮官は、サイドを主戦場としていた翔生をCFへコンバート。これがハマり、リーグ開幕からの21試合で11ゴールと、眠っていた得点センスが開花したのだ。このコンバートが、現在、ストライカーとして躍動する翔生のターニングポイントとなった。 「YS横浜加入当初はウイングバックでしたが、キャンプでFC東京や湘南ベルマーレと練習試合した時にフォワードやって、星川さん的にしっくりきたのだと思います。今治の時の自分は、止まっている時間がすごく多かったんです。ずっとウイングで使ってもらっていて、綺麗なプレーを求めすぎていた。サイドで張ってボールを受けて、相手をかわしてクロスかシュートまで行く、というように。でも、星川さんがフォワードで使ってくれて、泥臭さが身に付きました。 あと、自分は元々、足の速さに自信があったんですけど、今治の時は最大限に活かせていなくて。そこを星川さんが見直してくれて、『止まる回数が多いから、もっと相手の嫌なところに走るとか、背後への動き増やしたほうがいい。パスを出したら、とにかく止まるな』と。そう言った動きが徹底されて、今があると思います」 23年のリーグ開幕からCFとして先発し、2節のガイナーレ鳥取戦でプロ初ゴール。8節の古巣・今治戦で2得点を決めると5試合で7発を記録し、J3屈指のストライカーとして名を挙げた。YS横浜でのふたつの出会いが、翔生を変えたのだ。 「ダイさんと出会えたから試合に出られるようになったと思いますし、星川さんがフォワードで使ってくれたから、試合のたびに自信がついた。YS横浜で自分を変えてくれたふたりには感謝しかないですね」 すると今治をクビになってからわずか半年、プロ5年目でようやく輝きを放った翔生のもとに、“夢の舞台”に辿り着くJ1の湘南からのオファーが届いた。