町野、大橋に次ぐ湘南の新エース候補・福田翔生が明かす飛躍の舞台裏「自分を変えてくれたふたりには感謝しかない」【インタビュー後編】
引っ張られる側から引っ張る側へ
J1からのオファーだ。嬉しさを噛みしめた翔生だったが、湘南へ移る決断をすぐできたわけではなかった。自分を拾ってくれたYS横浜への恩返しは済んでいないと、シーズン中の移籍を悩んだ。ただ、そこでも周囲からのサポートに背中を押された。 「悩みに悩んだ結果、チームメイトが『行ってこい!』と言ってくれたおかげで、決断できました。最後にYS横浜のみんなに別れの挨拶する時には、今治での苦しい4年間やYS横浜に来て自分が変われた喜び、やっとJ1に行ける嬉しさ、すべてが交ざって、めちゃくちゃ号泣した。半年だけでしたけど、YS横浜時代の仲間とは深い絆を感じているんです」 憧れの兄・湧矢が活躍してきた、ずっと目標にしてきたJ1。東福岡高校を卒業した時の想定よりも時間はかかったかもしれないが、多大な努力と、多くの人との出会いで、ついに“夢の舞台”への挑戦権を掴み取ったのだ。 昨夏、湘南に合流してからはベンチスタートが続き、約4か月で無得点と、自身初のJ1の強度とスピードに苦しんだように見えた。ただ本人は、個ではなく、残留争いを強いられたチームにすべてを捧げた結果だと振り返る。 「J1残留が懸かっていたので、“今、このチームのために何ができるか”を考えた時に、守備で強度を上げるところが真っ先に出てきた。そこを意識しすぎて、どうしても攻撃時の怖さは出し切れませんでした。 個人のことはいったん置いておいて、チームに捧げた半年間でした。夏以降、チームの調子が良くて、リードした展開で投入されることも多く、ほとんどがクローザー的な役割でした。フォワードとしてエゴも出したいけど、勝っているなら仕掛けるんじゃなくて、ボールを保持したいじゃないですか。だから攻めずにキープできるような動きや、守備への貢献を意識した。僕個人の色を明確に出そうとしているのは、今季からなんです」 翔生の身を粉にするようなハードワークもシーズン終盤の湘南の勝点確保の一端となり、チームはJ1に残留。そして翔生は24年こそは自分らしさを出してやると、オフも休むことなく、シーズン中に感じた課題の解決に取り組んだ。 「YS横浜加入前に兄ちゃんから紹介してもらったMTRメソッドラボ(Muscle Tuning & Reactivation〈筋肉再活性化の意〉の略。サッカー選手のケア・栄養・コンディショニングを目的とした施設)でトレーニングをしていました。J1の当たりの強さを実感したので、身体操作の部分を意識し直して取り組みました。細かく何をやっているかは企業秘密ですけど(笑)、續池均(つづいけ・きん/MTRメソッドラボ代表取締役CEO)氏との出会いも、成長できた要因のひとつです」 今季の序盤はFWのライバル、ルキアンや鈴木章斗らが存在感を示したためベンチスタートが続いたが、8節の横浜F・マリノス戦で途中出場からJ1初ゴールをマークすると、YS横浜時代に磨いた得点感覚が再び開花。ここまで公式戦7発と良いペースで数字を刻んでいる。 躍進中の翔生の原動力は何なのか。彼は自身のキャリアを一通り振り返ったあと、ふたつの結論を導き出した。 「ひとつ目は、J3で戦っている人たちのためにやってやる、というところ。湘南への移籍が決まった時、YS横浜だけでなく、他のチームも背中を押してくれたんです。それが、すごく嬉しくて、俺はこの人たちのためにも頑張ろうと思った。J3から這い上がってきた身として、J3で頑張っている人たちに希望を届けたいですし、選手・スタッフだけでなく、サポーターの方にも希望をもたらせると思っています。 もうひとつは、湘南のエースになるため。昨季、おーちゃん(大橋祐紀)がエースとしてチームを引っ張っていて、俺もこういう存在になりたいと思った。実際に去年、おーちゃんから『翔生は大丈夫。絶対にやれるから』とずっと言ってくれていました。その言葉が今季、J1で初めて点を取って“間違いじゃなかったな”と自信につながった。おーちゃんが自分を信じてくれたので、もっとやらなきゃいけません」 22年の町野修斗(13点)に始まり、23年の大橋祐紀(13点)、24年の福田翔生と、湘南では次々とストライカーがブレイクを果たしている。翔生が「おーちゃんに引っ張られる部分も大きかった」と語るように、翔生は大橋に、大橋は町野に影響された部分も大いにあるのだろう。現在の湘南FW陣には好循環が生まれている。 その成長の連鎖のなかで、引っ張られる側から今後は引っ張る側に回っている翔生は、継続して結果を残し続け、自他ともに認める“湘南のエース”となれるか。苦境を乗り越えてJ3から這い上がってきたシンデレラボーイの今後は楽しみだ。 取材・文●岩澤凪冴(サッカーダイジェスト編集部)