平成の日本政治とは?(4完)新自由主義の席巻と民主党政権のトラウマ
小泉政権が推進した「小さな政府」の新自由主義
新自由主義は、米国の民主党ルーズベルト大統領が大恐慌を克服するために打ち出した「ニューディール」に対抗する共和党の政策である。レーガン大統領が「レーガノミクス」として大々的に宣伝した。 「ニューディール」は、英国の経済学者ケインズの修正資本主義を基本に、国家が公共事業を行うことで経済を好転させ、また国民の福祉を手厚くする政策だ。政府の役割が大きいので「大きな政府」と言う。 これに対し新自由主義は、税金をなるべく取らず、経済は企業任せで福祉をやらない。格差が生じても個人の責任だ。平等より自由に力点が置かれ「小さな政府」と呼ばれる。 戦後日本の高度経済成長は「大きな政府」の政策で達成された。企業に自由にやらせたのではなく、政治家・官僚・財界が一体となり、落ちこぼれを出さないようにして、最も格差の少ない経済大国を作り上げた。 冷戦が終わるまで「大きな政府」は米民主党の基本政策だった。しかし冷戦後に大統領に就任したクリントンは「大きな政府の時代は終わった」と宣言し、大胆に共和党の政策に近づく。そして日本に対し「政官財の癒着」を非難し、「年次改革要望書」を通して日本型の経済構造を新自由主義的な米国型に転換するよう迫ってきた。 「55年体制」では自民党も社会党も「大きな政府」だった。しかし政権交代可能な仕組みを作らなければならなくなると、小沢一郎は1993(平成5)年に『日本改造計画』(講談社)を書いて「小さな政府」の必要性を説いた。小沢は「大きな政府」と「小さな政府」を二大政党の軸にする考えだった。
改革推進の手法、「好敵手」だった小泉と小沢
その「小さな政府」をやろうとしたのが小泉だった。英国ではサッチャー首相が先に実行し、国営事業の民営化や規制緩和を行った。「英国病」と呼ばれた福祉中心の政策を転換させ「サッチャー革命」と呼ばれた。それは経済を成長させる一方で格差を生み、国民には痛みを強いる政策でもある。 2001(平成13)年の最初の所信表明演説で、小泉は「今の痛みに耐えて明日を良くしよう」と訴え、郵政民営化や道路公団民営化に取り組む。これには、野党より自民党の内部から反発が出た。つまり自民党には「大きな政府」の信奉者が多かった。 それを小泉は「抵抗勢力」と呼んで徹底した戦いを宣言する。そのやり方は政治改革に反対する勢力を「守旧派」と呼び、対立を強めることで改革を前に進めた小沢と似ている。「小さな政府」も、元をたどれば二大政党制のために小沢が構想していた。2人は「平成の好敵手」だったと私は思う。 小泉の5年5か月は終始「自民党との戦い」だった。その頂点は2005(平成17)年の「郵政解散」である。郵政民営化への反対が圧倒的に多い中、小泉は解散を打って血路(けつろ)を開く。民営化反対派を選挙で公認せず、さらに「刺客」を送り込んで落選させた。大博打だったが国民は小泉を支持し、自民党は大勝した。しかし小泉はその翌年、あっさり首相を辞め、跡目を安倍晋三に譲った。