平成の日本政治とは?(4完)新自由主義の席巻と民主党政権のトラウマ
政治という観点から見た「平成」は、国内外ともに激動の時代でした。国内では「平成の統治機構改革」と呼ばれる政治・行政改革が実行され、政権交代可能な二大政党制をイメージした小選挙区制の導入や、政治主導を進めるために官邸機能の強化が図られました。一方、国外に目を転じると、平成元年にあたる1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、冷戦が終結。それまでの米国・ソ連の東西陣営による二極体制が終わり、世界が新しい秩序と戦略を模索し始めました。 【写真】平成の日本政治とは?(1)経済大国に導いた「55年体制」の真実 平成の30年間で日本の政治はどう変わったのか。「令和」の時代に向け何を教訓とするべきなのか。政治ジャーナリストの田中良紹氏に寄稿してもらいました。 今回は4回連載の最終回。小泉旋風から民主党政権の誕生と失敗、安倍長期政権までを振り返ります。
「自民党をぶっ壊す」社会現象になった小泉旋風
永田町で小泉純一郎が総理大臣になることを予想した人はいなかったと思う。本人もなれるとは思っていなかったに違いない。ところが小泉が田中真紀子の応援を得て自民党総裁選に出馬し「自民党をぶっ壊す!」と叫ぶと、自民党員しか参加できない選挙なのに、選挙演説カーの周りは黒山の人だかりになった。 政治のプロはみな橋本龍太郎の勝利を予想したが、大衆は小泉に熱狂した。そして大衆の熱気がそれまでの政治を大きく変える。総理大臣は重厚さが求められ、総理になれば軽々しい振る舞いはタブーだった。ところが小泉の指南役である松野頼三に言わせれば、小泉はまるで「横町のあんちゃん」である。それまでは決められたインタビューにしか応じないのが総理だったが、小泉は毎日「ぶら下がり」と称するインタビューに応じ、鼻歌まじりで記者の質問に答えた。 それがテレビのワイドショーで放送されると、政治に関心のないような主婦層にも人気が出る。お笑い芸人が政治ネタをやるようになり、政治家もお笑い番組に出演して笑いを取るようになった。小泉の登場は政治のジャンルを超え社会現象となった。日本にポピュリズム型の政治が登場した。 小泉は総理大臣になるために必要とされる財務、外務、経産の3大臣を経験していない。厚労大臣と総務大臣を経験しただけだ。私は当初、政策面で大丈夫なのかと思ったが、小泉が打ち出した「構造改革」は米国の新自由主義政策だった。