関西の『粉モン』ピンチ タコ高い...部活帰りの子どもはコンビニへ...我らが誇る「たこ焼き・お好み焼き」歴史をわかりやすく解説 粉モンが食べたくなるはず!
この減少の理由はタコの値上がりだけではありません。たこ焼き店に打撃を与えた事情としては▼高齢化▼人件費アップ▼コンビニ▼冷凍食品といったものが挙げられます。 たこ焼きを焼くには人手がかかり技術も必要で、人件費がどんどん上がっている現代ではかなり厳しい商売、ビジネスモデルだといいます。
さらに小腹が空いた時のおやつの要素がたこ焼きにはありましたが、そこがコンビニで埋められ、冷凍食品も質が上がっていて、そちらの売り上げが伸びているという状況です。コンビニ・ローソンのファストフードの売り上げを見てみると、2012年は約3727億円だったのが、2022年は約5172億円となっています。
粉モンに代わる美味しいものがあるため、塾帰り・部活帰りの子どもが来なくなったということです。ここには子どもたちが真面目になっているという要素もあるようです。
実は観光客への売り上げは絶好調
ただ一方で、たこ焼き店・お好み焼き店が無くなるのか…と思いきや、そこで起きているのは二極化だということです。有名チェーン店などで作る「上方お好み焼たこ焼協同組合」によりますと、郊外の店舗は減っているものの、都心では逆に店舗が増えているというのです。なぜなら観光客への売り上げが絶好調だからです。
大阪・ミナミにある「わなか道頓堀店」に話を聞きますと、現在は5割~7割が外国人観光客で、50人ほどの行列ができることもあるそうです。
こうした状況が続くと、たこ焼き・お好み焼きは観光客しか食べなくなるのでしょうか?例えば着物で見てみると、日本人で着ている人もまだまだいますが、外国人観光客が京都で着て歩く様子は多く目にします。
元祖は食べ物ではなかった?
ここで、なぜ大阪・関西で粉モンが浸透したのかという歴史を見ていきます。 まず、大阪・たこ焼きは関西の商人の“もったいない精神”から生まれたのではないかという話です。歴史を見ていきます。大阪のたこ焼きは、昭和初期にソースをかけない形で始まりますが、その前の大正時代には「ラヂオ焼き」などという名前でした。当時はラジオ放送が始まったころで、おしゃれで最先端なものの名前を付けようということでラヂオ焼きとなったという話もあります。