ブラザー・コーン「乳がんが妻や娘じゃなくてよかった」手術直前の闘病生活を語る #病とともに
日本人女性の乳がん罹患数は毎年9万人以上。9人に1人の女性が乳がんになる時代だというが、歌手のブラザー・コーンさん(68)は、乳がん全体の1%未満となる極めて珍しい“男性の乳がん”を発症した。医者からのがん告知に「とにかくショックだった」と語るブラザー・コーンさんに、その経緯と闘病生活を語ってもらった。(ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice編集部)
実は2回目となるがんの発症
――コーンさんは昨年8月、乳がんであることを公表されました。どうやって気がついたのですか。 ブラザー・コーン: 背中に脂肪の塊ができて、皮膚がんだったら嫌だなと思ってお医者さんに診てもらったんですが、「脂肪ですね。切除しましょう」となって、3針縫って、「よかったあ」とひと安心したんです。で、それから2、3週間たったぐらいですかね、風呂場でシャワー浴びて体を洗っているときに、左の乳首の横にごりっとするような感じのものがあった。あれ? また脂肪の塊ができてる…。背中と胸、場所は違うんですけどちょっと心配になって、念のため今度は大学病院の主治医に診てもらうことにしました。そしたらすぐに乳腺外科に回してくれて、担当医が「これ、ちょっとごりごりしているから、全部調べましょう」と。その結果、2cm大のがんだとわかり、ステージ2と診断されました。「まだ初期の段階で、早急に処置したほうがいいかもしれません」と言われ、「わかりました」と答えましたけど、もう寝耳に水でしたね。 これまで公にしていませんでしたけど、実は僕、10年ほど前に前立腺がんを患って、放射線治療で良くなっていたんです。そしたら今度は乳がんでしょう。どうしよう、治るのかなと思いました。担当医に聞くと、手術で乳首含め片方を全部取るしかない。おふくろが乳がんだったので、遺伝的要素を考えると双子の姉じゃなくてよかった、僕でよかったと思いましたね。 ――手術はいつですか。 ブラザー・コーン: 1月22日、もうすぐです。その前に抗がん剤治療を数回やっています。抗がん剤イコール髪の毛が抜けるというイメージがあるじゃないですか。それがすごく嫌だったので、知人のバーバーのマスターに説明してパーッと丸坊主にしました。未練たらしいかもしれないけど、髪の毛を瓶に入れて持ち帰りました。 抗がん剤の初日、点滴後、熱が出ました。すごい副作用が出るって聞いていましたが、38℃の熱がしばらくすると下がってきて、「なんともなければ、今日はこれでお帰りください」と言われ、タクシーで帰ったんです。体調はそんな悪くないなって思ったんですけど、渋滞に巻き込まれた瞬間にすごく気持ち悪くなって、手持ちのビニール袋に吐いちゃいました。 ――やはり副作用はきつかったんですね。 ブラザー・コーン: ええ。そのあとは下痢が続いたり便秘になったり、吐き気とだるさが続くとかいろんなことが起きました。因果関係はわからないんですけど、腸の内側が数カ所切れて出血して血便が続いたので、それを治すため内視鏡手術をして10日間入院しました。抗がん剤は人によって合う、合わないがあるみたいですし、副作用もそれぞれ違う。いま抗がん剤をいろいろ調整してやってもらっていますが、僕自身、好不調の差はあります。いいときは絶好調なので、11月に予定していたバースデーライブを決行しようと思ったんですけど、やはり年内は抗がん剤治療に専念しようとすべて仕事をキャンセルし、年明けにリベンジすることにしました。 ――乳がんの診断結果を奥さまに伝えた際はなんと言われましたか。 ブラザー・コーン: 妻はやはり自分が女性なだけに、「あるんだね、そんなことが。びっくりしたよ」という反応でした。2人の娘も同じでしたね。姉に対してもそうですけど、妻と娘が乳がんにならなくてよかったというのが最初に思ったことです。やっぱり悲しいじゃないですか。おふくろが乳がんを患ったときに、すごく抵抗があった様子を間近で見ていますからなおさらそう思いました。 ――先ほどの話で初めて知りましたが、コーンさんは2度目のがんということですね。 ブラザー・コーン: 1度目も2度目もがん告知は、とにかくショックです。それに20年ほど前は腎臓疾患で余命1年の宣告を受けて、人工透析を3年間やって、妻から片方の腎臓をもらって腎臓移植していますし、本当に病気のデパートみたいな感じ。死に損ないみたいな男かもしれないですけど、生かされたと思わなきゃいけないと思っています。神様に生かされたと。でも、まだ僕は死にませんし、死ぬ気がない。なぜなら、いろんな方にまだ何も返していないと思うので。生きて、まだまだ恩返ししなきゃいけないという気持ちが強いんです。家族に対しても、世話になってばっかりで何も返していないですからね。