ブラザー・コーン「乳がんが妻や娘じゃなくてよかった」手術直前の闘病生活を語る #病とともに
恩返ししたいから生きる。生きるから働く
――コーンさんは華やかなパーティピープルのイメージがありますが、今回のがん発表で世間の反応はどうでしたか。 ブラザー・コーン: 「コーンさんもがんに?」「しっちゃかめっちゃか遊んでいるからがんになるんだよ」と賛否両論です。でも人間だから、年取ればどこか悪くなるし、それをどういう気持ちで受け止めて、どうやって治していくかっていうのは個人個人の生きてきたものの違いがありますよね。僕の場合は無鉄砲な時期もあり、毎日酒くらって体を痛めていたときもあったので、今思えば体に申し訳ない。昔は自分も体も一緒だと思っていたんですけど、年取って考えると、体と魂は二つ合わさって自分なので、体をいじめちゃいけないなと思い始めてます。そうすると体によく頑張ってくれたねと思えるし、ありがとうって体も言ってくれるような気がして。いろんな病気をしながら、そういうことがようやくわかるようになりました。 ――乳がんの闘病でどんな心境の変化、行動の変化がありましたか。 ブラザー・コーン: まず、自分がお世話になっている人たちへ恩返ししたいから生きる、という思いが生まれました。で、生きなきゃいけないってことは働かなきゃいけない。仕事を休んだら収入はないですし、蓄えで生きるにも限度がある。ですから去年の年末から銀座でカラオケバーを始めました。お酒は飲みませんけど、友達を呼んでいろんな話をする場所を作りました。 けれどそれも賛否両論。病気なのになんでそんなことやるんだという声もあります。でも僕にとっては、それは生きるため。ただし、生きるために仕方なく、じゃない。生きるために好きなことをやろう、と思っての決断なんです。そのほうがストレスを感じないし、自分の好きなことをやってお金が少しでも入ってきたほうがいいかなと。僕はどこかしら楽天的なので、これは自分の好きなことなんだからやるだけやってみりゃいいよ、ってもう一人の自分が言っているような気がするんです。お店は平日営業ですが、体力面を考えて僕は火、水、金だけ出る。ブラザー・コーンは、「科捜研の女」ならぬ「火水金(かすいきん)の男」だと自称しています(笑)。 ――改めて今のコーンさんの支えになっている存在は何ですか。 ブラザー・コーン: やっぱり一番身近な家族ですかね。家族の顔を見れば、そこでリラックスできるっていうか、すべてがチャラになるっていうか、そんな感じです。そして、妻はどんな状況にあっても普通に接してくれるのがありがたいです。「WON’T BE LONG」(作詞作曲ブラザー・コーン)はもともと彼女に捧げた歌なんですけど、人生で一番どん底だった腎疾患のときに腎臓をくれた人。あの強さはすごいなと思います。生涯、感謝しかないですね。 今、小学校1年生を頭に孫が5人いるんですが、あの子たちが遊びに来るとリビングがもうぐっちゃぐっちゃで、空き巣に入られたのかっていうくらい散らかっちゃう。でもそういうのを見ていると、生きているんだなと思いますし、なぜかうれしいですね。孫は僕を「じいじ」とは呼ばず、全員が「ヨーヨ」って呼ぶ。僕がいつもの掛け声で「ヨウ!ヨウ!」ってやっていたらいつのまにか呼び名がそうなっちゃった(笑)。こうして闘病しながらも、できる限り、そうやって孫の成長を見届けていけたらいいなと思います。 ===== ブラザー・コーン 1955年、東京都生まれ。1983年、ブラザー・トムとともにソウル音楽グループ「バブルガム・ブラザーズ」を結成。1991年に出した「WON’T BE LONG」が大ヒットし、その年のNHK紅白歌合戦に出演を果たす。ミュージシャンの活動のほかにも、バラエティ番組のほか、映画やドラマなどにも出演する。 「#病とともに」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。人生100年時代となり、病気とともに人生を歩んでいくことが、より身近になりつつあります。また、これまで知られていなかったつらさへの理解が広がるなど、病を巡る環境や価値観は日々変化しています。体験談や解説などを発信することで、前向きに日々を過ごしていくためのヒントを、ユーザーとともに考えます。