「民族共存」夢見た父は、あの日ハマスに捕らわれた ホロコーストから10・7奇襲へ―あるユダヤ人家族の物語
「『人に会えば、対話が生まれ、偏見が壊れていく。素晴らしいことだ』。彼はよく、そう話していた」 ヤド・バシェムで同僚だったオリト・マルガリヨトさん(45)はアレクサンダーさんとの思い出を振り返る。「実際に会うことで人間関係ができると強調し、多くの人をひきつける講義をしていた」 ▽かなわぬ解放、気がかりな安否 マティさん一家は戦闘が始まった昨年10月7日以降、政府が用意したイスラエル南部エイラットのホテルに避難した。だが、自分が身を置く五つ星リゾートホテルの豪華な環境と、ハマス奇襲のトラウマやアレクサンダーさんが人質となっている状況とのギャップに苦しくなり、イスラエル南部の砂漠地帯にあるミドレシェト・ベングリオンの閑静な住宅に引っ越した。 「10月7日の出来事は私の中ではまだ続いている」 マティさんはそう話し、ハマス戦闘員に襲撃される悪夢を見たり、日中にも突然手が震えたりすることがあると明かす。
一番の気がかりはもちろん、アレクサンダーさんの行方だ。昨年11月の戦闘休止期間中に解放された元人質から「アレクサンダーさんと一緒にガザの地下にいた」と伝えられた。一方でハマスは今年3月、アレクサンダーさんはイスラエル軍の空爆で死亡したとの真偽不明の映像を発表した。 「父は数年前に心臓発作で倒れたことがあり、何種類も薬を飲んでいる状況だった。今は飲めているのかどうか分からない。一刻も早く解放しなければいけないのに、政府は人質解放を最優先にしていない」 マティさんは、政府に対して直ちにハマスとの合意を妥結するよう求めるデモにも参加している。 ▽右傾化する世論に絶望感 ポーランドとイスラエルの民族間対話の取り組みを続けていたアレクサンダーさんについて、マティさんは「父はパレスチナ人との対話も可能だと言い、和平の可能性を常に話していた」と振り返る。アレクサンダーさんもマティさんもパレスチナとの平和共存を訴える政党を支持し、選挙でも投票していた。「大多数のパレスチナ人は私と同じように平穏な日常を送りたいだけのはずだ」