日本上陸25周。「ピエール・エルメ氏」を驚かせた、日本の魅力とは?単独インタビュー
パティスリー界のピカソとも呼ばれるピエール・エルメ氏。21世紀のフランス菓子の先駆者であり、世界中のファンを魅了する唯一無二の存在です。そんなピエール・エルメ氏がフランス国外に初めて進出を果たしたのが1998年。場所は日本の『ホテルニューオータニ』でした。 そして今年、日本上陸25周年を迎え、来日したピエール・エルメ氏がスイーツメディア「ウフ。」の単独取材に応じてくれました。本記事では、ピエール・エルメ氏が愛した日本の魅力と、 日本で絶大な人気を誇る理由について。貴重な独占インタビューの様子をお伝えします。
“日本が僕を選んだ”。なぜ、世界第一号店は日本に誕生したのか?
世界第一号店として日本に『ピエール・エルメ・パリ』がオープンした当時、ピエール・エルメ氏は37歳。なぜフランスの近隣国ではなく、遠く離れた日本を選んだのでしょうか。 ―日本が僕を選んだんだよ。僕じゃない。大谷(ホテルニューオータニ創始者・大谷米太郎氏のこと)とは元々交流があって、彼がパティスリーをこよなく愛する人ってことも知っていた。だからぴったりだと思ったよ。 日本でオープンする話がある前、エルメ氏は来日されたことがありましたか。 ―製菓学校の教師として、日本には何度か訪れたことがあった。しかし、日本で店を開くなんてこれっぽっちも考えていなかったな。だから、日本進出というチャンスが舞い込んだとき、直ぐに受けようと思ったんだ。
日本の食文化への旺盛な好奇心が新しいインスピレーションの源
ピエール・エルメ氏は積極的に生産地に足を運ばれていますよね。お菓子作りにとどまらず、食に対する強い好奇心を感じます。 ―僕は純粋に美味しいものが大好きなんだ。食に対する好奇心が僕をかき立てる。日本の素材や食文化からも、随分とインスピレーションを受けているよ。 今回の来日は25周年ということで多忙を極める中、この取材の前日は福井県に居たんですよね? ―そうなんだ。味噌蔵と酒蔵を見学してきたよ。日本の発酵技術は本当に素晴らしいし、世界にもっと発信するべきだと思った。誰でも読めるように、英語で表記をするとか工夫が必要だろうけど、生産者にはぜひリスクを恐れずチャレンジして欲しい。その価値があると思うからね。