「お前の彼女は誰とでも夜を共にする“あばずれ”」恋人は浮気性→第一志望の会社は内定取り消し…慶應卒のイケメン元証券マンが「強盗殺人犯」に堕落した理由(1953年の事件)
父は弁護士、大学は名門・慶應義塾大学の経済学部…。一見、順風満帆に見える人生の男はなぜ強盗殺人を犯したのか。1953年に世間を驚かせた「バー・メッカ殺人事件」、多くの女性たちから「こんな男がいたら匿ってやるわ」とまで言わせた甘いマスクの犯人・正田昭の人生を、新刊『 戦後まもない日本で起きた30の怖い事件 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む) 【特別公開】手配写真を見た女性から「良い男」と評された「慶応卒・イケメンの犯人男」 ◆◆◆
被害者は証券会社のブローカー、奪われた大金
1953年(昭和28年)7月27日21時ごろ、東京都港区新橋のバー「メッカ」のカウンターでビールを飲んでいた男性客の肩口に、血がポタリポタリとしたたり落ちてきた。驚いて上を見ると、天井にどす黒い赤のシミができている。店主がメッカの裏に住んでいた職人に頼み、物置になっていた天井裏を覗き込んだところ、軍隊毛布に包まれた男の遺体が横たわっていた。首と両足を電気コードで縛られ、全身には滅多打ちにされた無数の傷が。辺りは血の海だった。 通報を受けた警視庁愛宕警察の調べで、被害者は横浜市に住む証券会社のブローカーで、メッカに時々客として訪れる博多周(当時39歳)と判明。事件当日、証券を担保に銀行から41万円(現在の貨幣価値で約1640万円)を引き出していたが、その金が全て失くなっていることもわかった。 ほどなく、メッカの住み込のボーイで、事件発覚当日の夕方、「店の掃除が終わったから外出してくる」と告げたまま行方がわからなくなっていた近藤清(同20歳)が捜査線に浮上。さらに事件当日の昼間、近藤が常連客の正田昭(同24歳)と店で一緒にいるのを見たという目撃情報が寄せられる。警察は近藤と正田が事件に関与した疑いが濃いとしてこの2人と、正田の麻雀仲間だった相川貞次郎(同22歳)を指名手配。その後、相川は自首、近藤は逮捕され、彼らの供述から主犯は正田と判明したものの、その行方は杳として知れなかった。 正田が慶應大学出身のイケメンで、飲む打つ買うの三拍子が揃った男だったことから、「アプレ犯罪」の典型と称された本事件。最後に待っていたのは、正田に対する極刑判決だった。
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