「トップ20のホテル以外の客からは予約はとらない」 外国人富裕層が足繁く通う銀座の高級寿司店”納得の差”
■リーマンショックでも利益を出せたワケ 接待で利用していた客はまったく来なくなったが、ワインを飲む客が減らなかったのは、客との個人的なつながりが強かったためだ。中小企業の社長や作家、資産家など、自分のお金で飲み食いできる個人客が残ったのである。 その頃には、銀座寿司幸本店に行けば素晴らしいワインが飲めるというのは、ワイン通の間ではよく知られるところとなっていった。けれどそれはけっして店を流行らせるためやブームを狙ってやったことではなく、たまたま好きだったことが流行った結果だという。そこにもまた、繁盛店であり続けるための客のニーズをいち早く察知できるだけの先見の明と運のよさを感じる。
そんなこともあって、不景気の間も客足が絶えることはなかったが、横浜そごうに出店していた支店は持ちこたえることができずに潰れた。これにより、いきなり従業員が3倍になったわけだ。 「給料は同じだけ払うけれど、銀座店は土・日も全部営業するから、それでもかまわないという人は残るようにと言ったところ、ほとんどの人がやめなかったんです。そんなときに、2002年オープンの丸ビルに出店の話がきたんです」と杉山氏。高い投資だったけれど、思い切ってその話にのって正解だったとふりかえる。
魚は当たり前だが、一尾単位で仕入れる。本店では使えない、最上等の部位でなくとも、使える部位はまだまだある。銀座店だけであればそれらは廃棄するしかないが、丸ビルであれば、ランチの素材として大喜びされる。こうして、丸ビル店では本店とは違う切り口の店で勝負をすることにした。 丸ビル店は若手が人前で寿司を握る修業の場にもなった。「銀座寿司幸本店」ほどの老舗となると、板前さんたちも、20~30年クラスという人がざら。そうすると、若手はなかなか、客前で握る経験ができないからだ。
握る技術だけなら1人で鍛錬することも可能だが、的確に手を動かしながら、言葉巧みに客あしらいをする、これは、経験を積まなければできることではない。また、人間というものは、任されればやる気にもなる。杉山氏曰く、そうした“ディスポーザー的”な店は本店を守り、潤滑に回していくためには必ず必要なのだという。 ■コロナ禍を救ったのは「インバウンド」 リーマンショックや東日本大震災を乗り越えた飲食店を次に襲ったのはコロナ禍である。ところが、これを救ったのが意外にもインバウンドだという。