日本で「アニミズム」が保存された3つの根本理由 「自然信仰」を踏まえた「地球倫理」の時代へ
加速する「スーパー資本主義」、持続可能性を前提とする「ポスト資本主義」の「せめぎ合い」はどこへ向かうのか。『科学と資本主義の未来──〈せめぎ合いの時代〉を超えて』著者で、一貫して「定常型社会=持続可能な福祉社会」を提唱してきた広井良典氏が、「日本人論」を刷新し「アニミズム文化・日本」の可能性を検討する。今回は、全2回の後編をお届けする(前編はこちら)。 地球倫理の構造 ■アニミズムとは何か 「アニミズム文化としての日本」というテーマを考える際、まず確認しておくべきは「アニミズム」という言葉の意味である。
一般に、この「アニミズム」という言葉を初めて明確に定式化したのはイギリスの人類学者エドワード・バーネット・タイラー(1832-1917)とされる。 タイラーはその主著『原始文化(Primitive Culture)』(1871年)において、アニミズムを「万物の中に魂(soul)あるいはアニマが存在するという信念(faith)」としてとらえ、しかもそれがさまざまな宗教のもっとも原初的な形態であるとした。この場合の「アニマ」は「魂、生命、活力」に相当するラテン語で、「アニマル」や「アニメーション」の語源でもある。
ここで少々個人的な述懐を記すと、「アニミズム」という言葉のこうした起源について私自身さほど詳しい知見は持っておらず、「タイラーという人類学者がこの言葉を最初に使ったが、それはアニミズムを“未開”社会における“低い”レベルの観念としてネガティブにとらえたものであり、そうした発想を克服していくことが重要になっている」といった程度のイメージで理解している面があった。 しかし数年前に上記『原始文化』の全訳が日本で刊行されたことともつながるが(『原始文化(上)(下)』国書刊行会、2019年)、タイラーのアニミズムについての理解は決してさほど単純なものではなく、たしかに“アニミズム→多神教→一神教”といった発展段階論的な面はあるにせよ、むしろさまざまな宗教の根底にある世界観としてアニミズムをとらえるという、きわめて先駆的かつ現代的な意義をもっていると言える。