【新証言】FBIが隠し続けてきた謎のスパイ「シンカワ」とは何者か?真珠湾攻撃で暗躍した男の正体
2023年にオンラインで公開されたばかりの当時の新聞紙面を見ると、彼が頻繁にセレブを集めたパーティーを主催していたことが分かる。顔ぶれとしては〔俳優の〕チャーリー・チャップリン、ボリス・カーロフ、ナイジェル・ブルース、ダグラス・フェアバンクス、他にもアメリア・イアハート〔有名な女性飛行家〕、それにオノ・ヨーコの父親(編集部注/小野英輔。横浜正金銀行の海外業務を担当すべくサンフランシスコに移住していた)までいた。 ● イギリス軍事技術情報の提供者だった ラトランドを対米スパイとして使う ラトランドは1933年10月21日に横浜に到着した。3週間の滞在スケジュールはいっぱいだった。彼は横浜から列車で東京に行き、皇居の真向かいにあるフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルに宿泊した。 海軍省では、ラトランドと高須四郎(編集部注/1923年以来、高須はラトランドによってイギリスの海軍航空技術を入手していた)、他の数名による会議があり、今後の任務のあり方を決めるための議論が熱心に繰り広げられた。 高須は彼に新しいコードネームを与え、新しい川(New River)を意味する「エージェント・シンカワ(新川)」と名付けた。今後、ラトランドと接触するのは海軍情報部〔軍令部第三部。この時期から、軍令部は部制に変わった〕を率いる高須と、ロンドンの岡新(編集部注/ラトランド担当業務を1932年に高須から引き継いでいた)だけになるはずだった。 嶋田繁太郎〔10月から軍令部第一部長〕と高須の間で、ラトランドの役割について意見の相違があった。 嶋田はもともと、ラトランドにスリーパー・エージェントになってほしい、と考えていた。つまり、戦争が始まるまでネットワークを整備し、情報提供者を雇い、通信ネットワークを構築すること以外は、基本的に何もしないことを意味する。だが、高須は別の提案をした。「ラトランド氏は大金を要求しているので、せっかくだから短期的に活動させてみて、軽いスパイ活動をしてもらってはどうか」と言う。 それは十分に理にかなっていた。日本海軍は助けを必要としていた。ラトランドは非常に知識が豊富で、すでに多くのアメリカの海軍基地の写真を撮影していた。ラトランドこそ、他の誰にもできないことを日本のためにできるという事実が、ますますはっきりしていった。