「カメラマン暴行」もあった三原じゅん子 「顔はやばいよ」大臣版「ザ・ノンフィクション」
山田麗子そのもの
〈初めて近所の学校へ通うことになったんですけど、みんな顔見知りの子でも、私は生意気だって嫌われていたから、友達なんか1年間ぐらい出来なかったの。(中略)転校して、友達もいないし、一人ぼっちで、真面目でいるっていうことは、私にとってちょっときつかったの。《もういいや、ツッパってやろう》そう思ったの。志村一中は、真面目な子ばっかりだったから、すごく目立ってた……。スカートを長くして、カバンはペッタンコ。授業中も腕組んで、足組んで、ふんぞり返って聞いてたの。言ってみれば、『金八先生』の山田麗子みたいな感じでした〉 高校は、都立代々木高校を受験するも不合格。明大付属中野高校定時制に入学した。ちょうど、その頃に書かれたのがこの著書で、〈今は高校を何としてでも卒業したいと思っています。試験にはカンニングがつきもの。絶対に卒業したい! こんなこと書いちゃいけないかな。でも、先生が読むわけでもないもの、いいんじゃないかしら。それに、もし読んだって、笑ってみのがしてくれますよね、先生!?〉とあるのだが、結局、退学したようだ。 80年9月、「セクシー・ナイト」で歌手デビューを果たす。他のアイドルと一線を画す雰囲気は“ポスト百恵ちゃん”と呼ばれ、デビューシングルは30万枚以上を売り上げた。 ところが、その後、彼女の話題は、交際相手が中心となっていくのだ。出演した「ザ・ベストテン」(TBS)で、“恋人がいる”宣言。12月には“ケーキ屋ケンちゃん”こと宮脇康之との交際宣言をするものの、長くは続かず破局。 続いて「金八先生」第2シリーズの不良役(松浦悟)を演じて人気となった沖田浩之、さらに巨人軍の水野雄仁選手とも浮き名を流し、10代にして“恋多き女”の称号を得た。ただし、宮脇と沖田について彼女は後に「男女の関係はなかった」と言っている。
馬乗りになって頭を路上に打ちつけた
そして、この次がミュージシャンの男性だ。87年4月2日未明、豊島区の路上で2人してタクシーを降車したところを、写真誌「FRIDAY」が激写。これに激高した二人は、 〈「フィルムを出せ」といい、ひざげりをするなどして乱暴。さらに三原は(略)馬乗りになり、髪の毛をつかんで頭を路上に打ちつけた。2人のカメラマンは約1週間のけが〉(朝日新聞夕刊87年4月2日付) 「女性自身」は、より詳細に伝えている。 〈……奪ったカメラを路上に叩きつけ、止めに入った(略)カメラマンにも殴りかかり、フィルムを抜き取るなど、かなり酒に酔っていたとはいえ、したい放題の暴力行為。揚句の果てにかけつけた目白署員に、現行犯逮捕されたという次第だ。まだ寝静まった早朝、逃げまどうカメラマンを追いかけ30分にも及ぶ大立ち回り。「何人かもみ合って争っているし、大声で“てめえなんかぶっ殺してやる”と叫んでました。女の声でしたが、あれが三原じゅん子だなんて!?」「女の声でした。“てめえに写真撮られたから商売メチャメチャになった”って、確かにそう言ってました」などと半分冗談にしても、かなり迫力ある目撃談が次から次へと出てくるほど。“ツッパリじゅん子の面目躍如と言ったところ……〉(「女性自身」87年4月21日号) カメラマンへの暴行は、ボディーどころではなかったようだ。ビートたけしによる“FRIDAY襲撃事件”がこの前年12月に起きたばかり。この時二人は現行犯で逮捕され、書類送検(後に起訴猶予)されている。 その後、三原はこの男性と結婚宣言までしたものの破局。次のお相手として写真誌「FLASH」(89年3月7日号)が報じたのが、「三原じゅん子&マイケル富岡、熱愛デートの現場!」だった。 だが、翌90年10月25日に、三原はカー・レーサーとの婚約、さらに妊娠2カ月であることを発表する。当時を知る芸能記者は言う。 「三原は87年ごろからカーレースに夢中になっており、婚約発表の半年ほど前にレースでコンビを組んだのが出会いのきっかけでした。デキ婚となるはずでしたが、この発表の2日後に流産してしまいます。11月5日に入籍するのですが、その3日後に行われたレースで、彼女は激突事故を起こし、左の肋骨を折り、左肩甲骨にヒビが入る全治1カ月のケガを負います。まさにレースのように目まぐるしい結婚生活となりました。しかし、レーサー夫婦の生活は大変だったのかもしれません。彼女もスポンサー集めに苦労していると語ったことがありますし、94年には荒木経惟氏撮影の写真集『Junco』(KKベストセラーズ)も発売します。結局、この夫婦は、99年に離婚することになるのですが……」