日本経済が停滞を続ける理由は「他人のせい」にする発想にある…神田眞人元財務官がそんな檄を飛ばすワケ
■SNSの普及が人間の学ぶ意識を奪った かつて大蔵省の先輩たちは明治維新で西欧に伍するために、あるいは敗戦から立ち直るために、海外で最先端を学ぼうとしました。けれども、今は財務官僚に限らず、多くの人から学ぶ意識が奪われてしまっているように思います。その原因は、よく言われるようにソーシャルメディアの発達です。 本来は、深く、幅広く学ぶべきところが、視野や関心の幅が狭まっている気がしてなりません。思考が浅薄になった一因が、短いメッセージでのやり取りの常態化です。長い文章を読む機会が減り、上澄みだけの意見や考えに触れただけで満足してしまっている。 加えて、自分が好む情報しか知らずにすむ「フィルターバブル現象」や、価値観が似た人同士で交流し、共感し合う「エコーチェンバー現象」によって、多様な考えや、自分とは違った発想に触れる機会が極端に減りました。たとえれば、程度の差こそあれ、世界中のほとんどの人が、それぞれの狭いコミュニティの中に埋没しているような状況です。当然、新たな知見に触れるどころか、心身や脳の活力も奪われます。そんな環境から、イノベーティブな発想が生まれるわけがありません。 バブル崩壊後の30年、日本はまったく経済成長しなかった。そんな国は内戦や制裁下でもない限り極めて珍しく、政治経済が安定している国では日本だけではないでしょうか。バブル崩壊後の日本は既存の雇用や企業の保護を優先させました。社会の安定を保てた半面、人や金が生産性の低い企業や仕事に定着してしまう弊害を引き起こし、健全な競争を阻害しました。その結果、ゼロ金利でないと生きていけず、諸外国並みの賃金を払えない企業が増えてしまった。当然、こうした企業が増えれば、社会全体が衰退します。 一方、国民側もフリーランチ(ただ飯)と言えばいいのか……政府がなんでもやってくれるという意識が根付き、みんな努力しなくなった。モラルハザード(倫理観の欠如)を引き起こし、日本人から努力の精神や学ぶ意欲を奪ってしまった。社会主義国家だったソビエト連邦のように持続可能性が乏しい国になってしまいました。 私は、若手の官僚や後輩には、特に仕事以外の場で知り合う人から学ぶように勧めています。日頃の仕事ではかかわる機会が少ない業界の人たちは、私たちが持っていない考えや発想、経験を有しています。スポーツでも、芸術でも、旅行でもいい。未知との出会いが、心身や脳を活性化する。それが、仕事に活かされ、ひいては社会に還元されていくはずだ、と。 世の中の役に立つことがしたい。世の中が少しでも良くなるように努力しなければ――私は、入省以来、そんな思いで、働き学び続けてきました。 私には、公務員としてのひとつのモデルがあります。それが黒澤明監督の映画『生きる』。志村喬演じる市役所の職員は、ただ書類に判子を押す無気力な日々を送ります。彼は自分が胃ガンだと知り、困っている人たちのために小さな公園を造ろうと奔走する。しかし彼は家族からも誤解されたまま、自分の造った公園でブランコに揺られながら息を引き取る……。 たとえ周囲に認められない小さいことでも、一生懸命に取り組んで満足して人生を終える。満足するためには、努力しなければなりません。人のため、社会のために、学び、努力する。結果として評価をえられなかったとしても、何かをやり遂げる――それは、一人の人間として、とてもいい人生なのではないか、と感じるのです。 ※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年11月15日号)の一部を再編集したものです。 ---------- 神田 眞人(かんだ・まさと) 内閣官房参与・財務省顧問 1965年、兵庫県西宮市生まれ。1987年に旧大蔵省に入省、主計局を中心に各役職を歴任し、2021年から24年まで財務官を務めた。現在、内閣官房参与、財務省顧問。 ----------
内閣官房参与・財務省顧問 神田 眞人 構成=山川 徹