『グラディエーター』気高き剣闘士の物語はいかにして生まれたのか
地獄の釜を開け!
映画は1999年1月18日、骨まで凍るような寒さの中で撮影を開始し、監督の映像美を雪の積もった大気の渦と蒸気の息でおぎなった。事前にスコットはドイツとスロバキアの首都ブラティスラバを偵察し、その後イギリスのサリー州で、ボーンと呼ばれる森林地帯に出会った。高くそびえる松の木々に囲まれたこの場所で、テントを張った屋内やマキシマスの脱出シーンなど、戦闘シーン全体を3週間で撮影した。 こうして『グラディエーター』は、マキシマス率いる軍列がゲルマニア蛮族との激しい戦いを繰り広げるグラフィックに始まり、我々を古代戦争のカオスへと否応なく投げ込んでいく。手持ちカメラによる撮影を多用し、シャッター速度を変えたストロボ効果によって大虐殺を迫真的に演出したそれは、2年前にスティーブン・スピルバーグが発表した『プライベート・ライアン』(98)と同じリアリズムのタッチを共有している。スコットはこの永年のライバル、スピルバーグに対する挑発を「決して悪いことではない。なによりも観客が恩恵を受ける」と正当化した。 この激しい撮影でクロウは落馬し、スタントマンは手足を骨折するなど負傷者を出したが、監督の目論見どおり、本作ではローマ時代がかつてないほど鮮明に描写された。ニューヨーク・タイムズ紙はこれを「炎の矢が空を飛び、第二次世界大戦の映画の曳光弾のようだ。剣が木の脇に残され、刃から滴る温かい血から蒸気が上がっている。灰が雪のように空から舞い上がるそのイメージは、まるでブリューゲルの絵画を思わせる」と称賛した。
デジタル撮影の追い風
そしてリアリティへの追求は、おのずと監督を写実的な指向へと向かわせる。スコットはいかに映画においてデジタルの趨勢が及ぼうと、プラクティカルな表現に重きを置いた。たとえば兵士のビジュアルプレートは隊列を拡大するためにデジタル合成されたが、1万6千本もの燃える矢は本物を用いている。 いっぽうでスコットは、デジタルが自作に何をもたらすかを理解すると、エフェクトショットの総数は倍加した。彼らはリカソリ砦にコロッセオの巨大なセットを1階まで建て、2階はCGIを用いてデジタルで増設した。2,000人のエキストラがスタンドを埋め尽くし、その数はCGIで35,000人にまで膨れ、実物を上回る効果をあげた。 そんなデジタルの台頭に救われたのが、剣闘士団を率いるプロキシモを演じたオリヴァー・リードの一件だろう。彼は本作撮影中の1999年5月2日、マルタのパブで飲酒を楽しんでいるとき、心臓発作で倒れて亡くなった。そこでスコットら制作クルーは録音したセリフを編集して新規にテキスト化し、それをベースに、背景画像とリードの顔のアウトテイクをデジタルで重ねてアクシデントを回避した。この取り組みが、後年『ゲティ家の身代金』(17)の主役交代で再び役立つことになる。