東西統一から欧州の大国へ 独メルケルはコールの遺産をどう使うのか
8000万を超える人口を抱え、世界第4位のGDP(国内総生産)を誇るドイツ。筆者は8月前半、この欧州の大国と周辺国を訪ねた。2週間の滞在中、「ヨーロッパ」の枠を超えて存在感を高めるドイツの現在や、ドイツ周辺国で日増しに高まるロシア脅威論について、多くの市民やジャーナリスト、大学教授らから話を聞いた。ヨーロッパにおける事実上のリーダーとなったドイツは、今後どのような国へと変わっていくのか。周辺国やロシア、アメリカといった国々との関係に変化は生じるのか。外交、経済、難民問題、EUにおける立ち位置などから、ドイツの現在に目を向けてみる。全5回となる連載の1回目は、「強いドイツ」のイメージを世界に定着させたアンゲラ・メルケル首相について触れたい。(ジャーナリスト・仲野博文) 【写真】欧州難民問題で注目の2つの制度 EUの「一つの共同体」理念揺らぐ
「ベルリンの壁」崩壊から28年
8月中旬、筆者はドイツ人ジャーナリストの案内で東ベルリンを歩いた。冷戦時代、分断された東西ベルリンの事実上の境界線となっていたシュプレー川のほとりには現在も「ベルリンの壁」の一部が残されたままの状態となっており、ベルリンにおける観光スポットの1つにもなっている。1963年6月には当時のケネディ米大統領が西ベルリンを訪問し、30万人を超える聴衆の前で「私はベルリン市民である」という有名な演説を行い、自由世界の大切さを訴えている。
東ベルリンに残された壁の前では、多くの観光客やドイツ人の若者が壁を背にしながらスマホで自撮りを楽しんでいた。他の町から旅行で来たという数名のドイツ人のグループに話を聞いたところ、「生まれた時にはすでにドイツは統合していたため、我々の世代と親の世代ではベルリンの壁に対する思い入れが異なるのは仕方ないと思います。昔の事を思い出すというよりは、ドキュメンタリーなどで目にしたものを再確認するような気持ちでここを訪れました」と1人が語ってくれた。
それも自然なことなのかもしれない。1961年から建設が始まったベルリンの壁は、1989年に崩壊という形で終焉を迎えた。今年はベルリンの壁崩壊から28年目となる。つまり、ベルリンの壁が存在した期間と同じだけの時間がすでに過ぎ去ったということだ。ベルリン中心部にあるポツダム広場はかつて大きな壁によって分断され、周辺は無人地帯となっていたが、現在はソニーセンターなどの大規模な商業施設や大手メディアの本社ビルなどが並ぶ。1991年に東西ドイツ統合後の首都をベルリンに移転させる決議がドイツ議会で可決されると、1994年から首都移転が本格的にスタートした。議会両院や首相府、連邦政府機関はベルリンに移り、それに合わせるようにしてベルリン市内に次々と商業施設やオフィスビルも作られ、この20年で町の外観は様変わりした。