東西統一から欧州の大国へ 独メルケルはコールの遺産をどう使うのか
東ドイツの研究者から“ドイツの母”へ
第二次世界大戦終結後の西ドイツ時代から現在に至るまで、ドイツで首相を務めたのはわずかに8人。ドイツにおける首相の任期は原則4年だが、任期の上限が設けられていないため、長期政権が可能となる。今年6月に87歳で死去したヘルムート・コール氏は東西ドイツの統合に尽力した人物として知られているが、首相を5期務め、在任期間は戦後最長となる16年だ。メルケル氏が首相に就任してからすでに12年が経過しており(現在3期目)、9月下旬に行われる総選挙で4期目を目指す。東西ドイツ統合を機に政治家に転身したメルケル氏の能力を早い段階から見出していたのがコール氏で、第4次コール政権が1991年に発足すると、国会議員に初当選したばかりのメルケル氏は異例の形で女性・若者担当大臣に抜擢される。
その後もコール政権で環境・原発担当大臣に就任するなど、メルケル氏にとってコール氏はドイツ政界における後見人のような存在であった。しかし、首相退任直後に違法献金疑惑が浮上すると、メルケル氏はコール氏と距離を置くようになり、2人の関係は冷え切ったものに変わっていたという報道もある。コール元首相によって実現した東西ドイツの統合。そのドイツの影響力をさらに大きくしているのが、愛弟子であったメルケル首相という図式は興味深い。 メルケル首相は1954年、生後数週間で西ドイツのハンブルグから東ドイツに移り住んだ。当時はまだベルリンの壁が建設されておらず、福音主義教会の牧師であった父ホルスト・カスナーは東ドイツにある福音主義教会に牧師として赴任することになった。メルケル氏の学生時代の成績はどの科目も非常に優秀で、ロシア語クラブの部員として東ドイツ全土で開催されたロシア語弁論大会でも好成績を収めている。2014年のウクライナ危機の際にはロシアのプーチン政権を激しく批判し、対ロシア経済制裁の舵取りを行ったメルケル氏だが、過去にはプーチン大統領とロシア語で会談を行い、「大国のリーダーで私と私の母国語で話をしたのは彼女が初めてだった」と感激させたこともあった。 1973年にライプツィヒの大学に進学すると、彼女は物理学を専攻し、研究者を目指すようになる。ライプツィヒ時代に同じ学部で学んでいたウルリッヒ・メルケル氏と学生結婚し、1978年からは東ベルリンにあった東ドイツ政府が運営する「ドイツ民主共和国科学アカデミー」に就職。研究者としてのキャリアを本格的にスタートさせる。しかし、結婚生活は順調とは言えず、1982年にメルケル夫妻は離婚。アンゲラ氏はラストネームを元に戻さずに、アンゲラ・メルケルとして生きていくことを決意。1998年には量子学者のヨアヒム・ザウアー氏と再婚したが、メルケル姓を変えることはなかった。