東西統一から欧州の大国へ 独メルケルはコールの遺産をどう使うのか
すべての首都機能がベルリンには移らず
戦後の西ドイツでは首都をどこに設置するかで論争も発生したが、首都を特に産業のない小都市だったボンにすることにはメリットもあった。西ドイツにはベルリン以外にもフランクフルトやハンブルグ、ミュンヘンといった大都市が存在したが、西ドイツ政界の指導者らは東西ドイツの統合後に首都機能をベルリンに移転させたい構想を抱いており、大都市が首都になった場合、統一ドイツの首都をベルリンに戻すことが困難になることを見据えていたのだ。また、地理的な面でもボンは非常に便利な場所に位置し、デュッセルドルフやケルン、ドルトムントといった都市にも近く、EUの前身となるEC(欧州諸共同体)やEEC(欧州経済共同体)の中心的な場所だったベルギーのブリュッセルからも約230キロ(東京~浜松間に相当)と、それほど離れてはいなかった。
現在もボンにはいくつかの省庁が残されており、首都機能を分担している。また、18の国連機関もボンに事務所を構えている。しかし、この20年でボンは新しい街に生まれ変わったようだ。ボン郊外に住む金融機関勤務の男性が現在のボンの様子について語ってくれた。 「ボンには国営企業から民営化したドイツポストやドイツテレコムの本社もありますし、街としてはITを中心としたスタートアップ事業をバックアップしています。また、国内外の大きなカンファレンス(会議)を誘致する動きも以前からあり、ベルリンとは違う形ですが、ボンもこの20年で大きく変わりました」 首都がベルリンに戻されることになった翌年の1995年から2004年までの間、連邦政府はボンに毎年1500億円を超える補償金を支払い、その一部はIT産業の育成などに使われたのだという。人口30万人弱のボンから300万人を超えるベルリンに首都が移転してから20年以上が過ぎた。統合後のドイツはヨーロッパではロシアに次いで2番目となる8000万人の人口を抱え、GDPは日本に次いで4位となっている(一人当たりのGDPではドイツが日本を上回っている)。世界経済でも国際政治でもキープレーヤーとして、大きな存在感を示しているドイツだが、その勢いは依然として衰えを見せない。そのドイツで2005年から首相を務め、「ドイツの母」と呼ばれているのが東ドイツ出身のアンゲラ・メルケルである。